ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

普通は浅い

普段、息をするときに吸ったり吐いたりしている容量というのは、肺を目一杯膨らましたりしぼませたりするときに比べればとても小さい。

 

ご飯食べているときや、駅のホームを歩いているとき、ネット観たり仕事しているときなど、だいたいは同じような息の仕方で過ごしている。

目一杯、息を吸いこんだり、お腹がギューっとタイトになるぐらい吐いたりなんてことは、普段の生活ではやらない。

「普通」に「無意識」にしている呼吸(不随意呼吸)は、浅いけれど、それが自然なことともいえる。

もともと身体というものは生きるためにちょうどいいとか、効率のいい形に進化してきたし、効率のいい動きをするのだから、普段の呼吸のテンポや容量というものは、そのほうが具合がいいから、楽だからそのようなテンポだし容量なんだよな、と思える。

でももし目一杯肺を使って息をするなら、普段のテンポの倍以上、吸っていられるし、吐くこともできる。「普通」というのは最大限に使ってる訳ではなくて、どちらかと言えば最小限寄りなんじゃないか、とも思えてくる。

 

アスリートが活躍する場や、歌手や、ため息が出るようなときや、眠いけどちょっと我にかえって伸びするときなんかは、普段よりずっとたくさん吸い込むし、吐き出す。

 

なんで息するとき、こんなに短くて浅いのかなぁ。