ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

ノートという玉

・元来、仕事でメモをとる習慣がついていたこともあって、呼吸法を教わり始めたとき、日記も兼ねてノートに手書きするようになった。

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Skypeで遠隔レッスンのときには、後で清書するために使いかけの雑記用ノートに走り書きをした。

職場でも、練習でもノートはロルバーンが多い。ミシン目つきの方眼紙、切り取ったページが収納できる透明シートが5枚ついてる。

途中からブログで菜食と呼吸法の練習経過などを雑記するようになったから、ノートを消費するペースは落ちている。

やはり、自分の場合はいったん紙に走り書きしてポイントやキーになることを書いておいて、後で整理しながらまた手書きする。というのが「覚える」にはしっくりきている。音声を録音するときも、後で書き起こしてノートに書くほうが覚える。(学校の授業でもこれぐらいやってたらよかったかもしれんが)

やったことと、それを言葉で現したこととが合わさるように感じてる。

 

呼吸法の練習で教わったことで、自分が体感できていて、かつ私生活の場でも起きたことなどは個人的なものだ。

それが「呼吸法において」誰にでも当てはまることなのか、たまたま自分の場合起きたことなのか、それとも全く別の作用があったに過ぎないのかは、他の生徒さんや友人や家族や知人同僚に聞いてみなければなんとも言えない部分もある。まあ、そんなこと言い出したらキリがなく始まらないので、自分の立ち位置と視点からそう映ってるものや、大切だったり好きなことをノートに書いたりブログにだしている。

 

たまーに、読み返してみようか、となって開くと、その当時書いたことのなかで、今の自分にとってヒントみたいなものが見つかることもある。つーか、よくある。つーか、これ書いたときの自分のほうが賢いんじゃないか、って感じる。

文字に右手の指や手のひらを近づけたり、置いたりしてしばらくすると、胸のところがジーンとしてきてあったかいとか嬉しいとか、ウキウキだとか、なんかいい感じの胸騒ぎが起きる。トンレンで書いたときの氣が今の自分に伝わってくるんだけど、数ヶ月や数年前の自分にありがとうな!って言いたくなる。

 

・トンレンの練習をしたことがあり、体感と情報と意味がなんとなくでも判りだしている生徒さんならご存知かもしれないが、「書いたもの」には想い(氣)が残る。やっぱり感情を大きく動かしながら書いたものは判りやすいし、そうじゃなくても読み取り易さとゆーか、相性みたいなものもあって、対象、相手にどれだけ興味、好奇心、をもって想いを引き出すか。が試される場合もある。

全く興味とかなかったけど、ふと、近くを通るときにバーン!ときたり、なんか向こうのほうが気になるっぽいな、と意識するときもある。

 

自分は呼吸法を教わりだしたとき、当時の生徒さんたちのブログを探して、そこにかいてある内容から、練習の仕方やその過程でできるようになってくること、なんかのヒントをたくさん見つけた。

他の人からすれば、もしかしたらただの石で、内容がなかったり、ただの日記ととるかもしれないが、自分にとってそれは、ピカピカした情報がいくつも散らばった言葉の玉だった。

今の自分が、当時の生徒さんたちのように有用なことを書けてるとは思えないけれど、少なくとも手書きでノートに残してあることは自分にとっての玉だな。