ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

記憶を見る角度

昨日の朝、通勤電車の中で呼吸法の練習をひっそりとやって、そのあと退陰符から意識をフラットに持っていって、瞑想状態にした。

今回のテーマは「ゆうがたヨクサルが今までで、いちばん嬉しかったことってなんだ?」とゆーこと。

心の中の「嬉しかったリスト」のページがパラパラとめくられてくような感じで、あんなこと、こんなことあったなー。どれがいちばんなんだっけ?と検索してるような感じだった。

 

4番チャクラの奥に意識をフォーカスして、何かあるのは手触りでわかるけどよく分からないでいた。

「4番から6番に流し込むんだよ。」と、アドバイスをしてくれてるような感じがあったから、そのとうりにしてみた。

 

…なーんか、視覚イメージが湧いてくる。視覚的な感覚はけっこう苦手なんだけど、今回は調子がいい。

小学生のとき、臨海学校で一泊したときのことがでてきたぞ。

 

消灯時間前に、自分たちが使う部屋で、数人の生徒が噂話をしてた。

自分はもう眠くて、窓側の寝床で彼女たちの話をなんとなく聴いていた。先生達の中で、2名の先生、どちらなのか分からないけれど、変な噂あるの知ってる?って感じの内容だった。

片方の先生の名前が、自分が1、2年の時の担任の先生だったから「あの先生がそーゆーことする訳ないのに…」と思ってた。

 

そんな噂話をしてるところに、凄いタイミングで、噂をしていた先生(元、ゆうがたヨクサルの担任教師)が「消灯時間だぞー。寝なさい。」と部屋を見にきた。

そのとき噂話をしていたうちのひとりが、先生に向かって「せんせいってさー、〇〇先生ってホントなの?」と冷やかすような失礼な言い方をした。自分はムカッとした。

 

先生は、一瞬、哀しそうな顔をしたけれど、その生徒をジッとみてから次に自分が寝てる部屋の1番奥を指差してこう言った。

「ゆうがたヨクサルにきいてごらん。私がどんなせんせいかは、ゆうがたヨクサルが知ってるから。」

一斉に皆んなが自分のほうを見てくる。

その時のことを思い出したんだ。あったなー、そんなことも。(この話、以前ブログに書いたような気もする)

自分は「せんせいは、そんなことするひとじゃない。いいせんせいだよ。」って答えた。

皆んなシーンとして黙ってて、その後はもう寝なさい。と部屋の電気を消されて寝たなぁ。

 

あれ?でもなんでこの場面が「いちばん嬉しかったこと」を内観してて出てきたんだろう?と思った。あれは自分が好きな先生が変な噂話になってるのが嫌でムカつくことだったのに。

 

いま、あの時のことを再生して体感し直してみると、あのとき、先生が自分にたいして、この子なら本当の答えをいうだろう。と信頼してくれたことが嬉しかったんだ。と分かった。

親子ほども離れてる大人が、子どもの自分にたいして、同等に扱ってくれるような、そのようなことを託してくれたことは、たぶん生まれて初めての経験だったと思う。これって、言葉にするとなんて単語になるのかなぁ。

手を叩いて喜ぶわけでもなく、顔が崩れるほど笑顔や泣き顔になったわけでもない。嬉しいこととゆーのは、そのようなリアクションになる事とばかり思ってたけれど、これがじぶんが「いちばん嬉しかったこと」なのかぁ。こんなに静かで暖かくてしっかりとした質感のものだったとはなぁー。と新鮮な感じがしたんだ。

 

当時がどんなだったとか、その時どんな気持ちだったのかも覚えてるし、たしかにその通りなんだけれど、今、同じシーンなのに、別角度から見たとき、全然違う景色と心情を見つけた。

こーゆーのあるから、内観瞑想ってやってて面白いんだよな。

 

と、こんな感じの内容を職場の休憩時間に同僚に話していたら、「凄くいい話だなぁー!私もそれ(瞑想)、出来るかなぁ?私も思い出せたりするかなぁ?」と質問してきた。

どんな人でも想い出や心を動かすようなことは、ちゃんと記録されてるから、出来るんじゃないかなぁ。呼吸法とか瞑想とか、そんなん知らない人たちだって、皆んな想い出を色んな角度から見ること、出来るんじゃないかなぁ。

自分の心と仲良くなってれば、見せてくれるんじゃないかなぁ。

でも訓練すると、もっと幅や奥行きが増すかもね。と返事した。