ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

もとは同じ、あらわれかたを好きにかえれる

呼吸法やトンレンをしていると、自分のなかでなにかを捉えて体感や感情などがあらわれる。

呼吸法やトンレンじゃなくても、人とおしゃべりしてるときとか、絵を観たり、音楽を聴いたり、仕事しながら、勉強しながら、ぼーっと休んでるとき、ご飯食べてるとき、布団に入って寝る前のひととき、とかだって、自分のなかでなにかを捉えて体感や感情や想いが現れる。

 

自分はいつも、入ってきたものを「氣」とか「情報」として受け取ってみる。

例えば「嬉しい」を受けて、捉えたものを、そのまま同じくらい自分も「嬉しく」なることもできるし、その「嬉しい」からさらに変換して自分なりの想いやなにかに変えることもある。

嬉しいから、困ったな、にかわることもあるだろうし、悲しい、から勇気にかわることもある。

 

たとえばおにぎり食べたら、自分の体に取り込まれて「おにぎり」のまま自分の体に残ることはない。何かしらの形で変化して、どっかしら必要な部分に行き渡る。

たとえば非常にショックな絵画やなにかを観て、そこから吐き気や切なさ哀しみが沸いて、そのまま自分のなかでその状態がとどまることもあるけれど、どんどん消化されていくと、そこから勇気や希望やあたたかさに醸されていく。

 

じぶんに入ってくるものの使い道、現れかたは、じぶんで醸して別のものとしてやがてあらわれる。じぶんなりに好きに変えていいんだ。変えたものは原動力になる。楽になった。