ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

羨ましいと懐かしい

・古式マスターヨーガは、サンスクリット語で「プールベシャーム、アーチャリーヨーガ」って言うんだけど、そんなん他の人にいってもピンと来ないだろうから、分かりやすく古式で、マスターのためのって訳してね。南インドバラモンのごく一部の人たちが扱ってきた技術なんですよ。と、木村先生は教えてくれる。

 

自分が呼吸法を教わるようになって日の浅いあるとき、木村先生たちと居酒屋で食事をしていたときに、お師匠様となるかたとの出会いについて質問した。

先生が関西のデパートの催事会場に出店していたときに、隣に出店したインドのお店のラニー大先生(自分はおおせんせい、と呼ばせていただいてる)と出会ったこと。ラニー大先生は年配の女性で、木村先生に出会ったとき、とても喜んでいたこと。

ラニー大先生は「約束」を果たすために、約束した相手となる目印とゆーか、ヒントとゆーかをご存知だったようで。

木村先生を見たとき、その約束した相手だとわかる目印、ヒントが木村先生にあるって分かって、だからとても喜んだそうだ。当時の木村先生からすれば、なんなの?って感じだったろうけれど、ラニー大先生から初めて手のひらに氣を通されたとき、別の意味で「何ですのっ⁈これっっ⁇」ってなったそうだ。

 

そのような当時の話を居酒屋さんで聴いたとき、そんな事があるんだなー、と思った。

何かの約束を、いつ、どこで、誰と果たせるのかは分からないけれど、印やヒントがあって、でもまだ出会えていない期間とは、どんな気持ちなんだろう。

 

たまたまインドから日本に来てて、たまたま隣どうしのお店で出会って教えを受けて、何年か後にインドに帰国なさって、しばらくたって再び来日なさってるの知らずに、たまたま横断歩道だかで偶然にも向こう側にラニー大先生がニヤニヤしながら木村先生のこと見つけててびっくりしてて。

そんな話を事あるごとに聴いてると、ラニー大先生に会ってみたいなぁ、トンレンさせていただきたいなぁ、色んなお話伺いたいなぁと興味が湧いてくる。

もし、もし万が一にもだけど、また木村先生とラニー大先生が、お会いすることがあるならば、雨が降ろうが槍が降ろうが、私、そちらに伺いますからっ‼︎だから絶対私に連絡して下さい!とお願いしたことがある。

いやー、そんなこともうないかもしれないけれど、言っておかないと悔しいからな。

トンレンで大先生と木村先生とが練習した時のことを話してくれたとき、その光景が羨ましかった。いーなぁ。自分もそこに居たいよ。と思った。

 

 

・自分はいま、トンレンを通して、色んなことを考えたり気づいたり、感じたり、そこから学んでることが、沢山ある。

見たり聞いたり触れたり嗅いだり味わったりの、それ以外のツールとして、トンレンを通して、なるほどー。と思ったりしみじみ感じいったり、面白くて嬉しくなることが増えた。自分が面白いからやってるだけなので、その内容はというと、誰かの役に立つことなんてない、瑣末なことなんだけど。

 

絵だったり、文字だったり、写真や物や場所だったり、初めて会ったひともすでに知ってるつもりだった人にも、インタビューの記事の言葉やふるまいからも、トンレンから分かって来た部分を繋げていくと、なるほどー!って感じて、キレイで嬉しくて泣きそうになることが沢山ある。そんなとき、いつも不思議なんだけど必ず「懐かしさ」に似てるような感覚があるから何でかなぁ?って思う。

この正体がわからない。追跡しようとすると、スーッと消えていっちゃうんだよな。そのうち分かってくるのかなぁ。