ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

問うとき

子供の頃は大人たちに「あれはなに?」「どうしてこうなの?」「それはどうなるの?」ときくと返事の中に答えのようなものがあった。

そのうち成長してくると、自分の心のなかで「あれはなんだ?」「どうしてこうなんだ?」「それはどうなるだろうか?」と想像してなんとなくの答えのようなものができて、また大人たちにも聞いてみて、自分の心のなかで想像したのと違ってたり同じだったりするようになる。

もっと成長してくると反抗期みたいになって、大人たちにきくのが嫌になって自分だけのなかで決めつけたりするようになった。心のなかには答えようなものらしき形はあるけれど、はっきりとした形ではないし何かの拍子に揺らぐから、何度も何度も考えたり形をこしらえる。

誰かに問いたくても、自分だけで見つけなくてはならないとき、それまでの自分や周りの人たちの答えや考えでなんとか踏ん張ってきた。

 

自分が大人たちと呼ばれる年齢になって、周りの人に「あれはなに?」「どうしてこうなの?」「それはどうなるの?」ときいてみると、半分くらいの人たちは困ったように「え〜?そんなこと考えたこともなかった。」と笑ったり、不愉快そうになる。ごめん。困らせるつもりじゃないんだ。一緒に話したかっただけなんだよな。ごめん。(あ、でもよくよく思い出してみると、子供のころに質問した大人たちも困ったような不愉快そうな、怒り出す場合もあったなー)

って、ことが増えてくと、表面的な当たり障りのない会話になってくる。さみしいような、楽ちんのような、つまらないような状態が続く。

 

でももう半分くらいの人たちは、自身の言葉で自身の考えを示してくれる。場合によってはわからないなりに、素敵だな、と感じられる言いまわしで応えてくれる。

その返事が自分の心のなかで浮かんだものと違っていようと同じだろうと、なんであれそのような人たちが、半分くらいはいらっしゃるのだ。それがこの数年のうちに、ちょっとずつ増えてるのが嬉しい。