ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

生々しさを制する

今朝は父の病院の付き添いで実家方面に行ってきた。市民病院だから診察を待ってる人達で混雑してる。かなり沢山の椅子と、折りたたみ椅子も出来るだけ用意して下さってるけど、何処も満席。父の座ってる真後ろのスペースは立ってる分には邪魔にならないので、自分はそこに立っている。

 

毎度のことながら、待ってる間に父の背中越しに呼吸法がてら氣を打ち込む。(見た目はただ立ってるだけ)

自分は影響を受けないように病院に行くまでの電車の中で、既に準備は万端整えてある。自分の氣を呼吸法で発電して、体内に満タンにする。そのあと退陰符でお腹まで氣を降ろして貯める。また発電して満タンにしてまた降ろす。

こうやって、自分の氣を練って活性化させて、新鮮な元気でコシのあるもの(細やかで浸透力、持続力が高いものにするって意味)にしておく。いつもより余分に持ってるから掌もビリビリしてる。

 

背中から父の仙骨らへんに向けて左手でビバ(煉氣波)を打って右手で吸いながら古い氣を引っ張る。打っては引っ張りを繰り返す。(直接背中に触れてる訳ではない)

次第に父の首や頭部に内圧が掛かってきたのがトンレンで感じられるようになり、その頃合いを見計らって退陰符でリラックスしながらお腹に氣を引き下げる。座ってる父がウトウトしだす。

次は軽めに呼吸法しながら胃のとこらへんを引っ張っては送り込むを繰り返す。

自分の氣ではない、粗めのパリパリした氣が右手に当たって、自分の体を通って左手から抜けていく。この粗めのパリパリを丁寧に抜いていく。何度もやってると、次第にパリパリは減ってくる。あと自分の場合は、疲労や症状によってタイプの異なる「匂い」が感じられる。この匂いは独特でうまくは表現しにくいんだけど、発する部位もそれぞれ異なる。その部位にもビバを打つようにしてる。(この匂いは翌日まで体に残る)

待ち時間をせめて少しの間だけでも父が疲れにくいようにと思ってやってる。

 

今日の待ち時間はいつもよりだいぶ長い。父が現役で働いてた頃のことや好きだった歌の事なんかを質問する。もうなんどもその話は聞いたよ。って内容でも、なんども違う角度から質問をして、当時の話を聴く。これは自分も退屈じゃなくて、そうしたくて聴いてるし、話してる本人も楽しそうに活き活きするからどっちにとってもいいことなのだ。

 

2時間半過ぎたころ、やっと診察で呼ばれた。入室すると、先生の雰囲気がいつもと違う感じがする。なんとゆーか、生々しいとゆーか、表情と気配が、ザワザワしてる。それをこの場では制するようになさっている?なんだろう?

話す言葉はいつもと同じくらい、キリッとした中に配慮と前向きさがあるのに、なんだろう?

途中、先生が「今日は急変する患者さんが多くて。診察時間遅くなってすみませんでしたね。」と。ついさっき、急変して吐血で亡くなったかたの対応をされていたようだ。ああ、だからかな。と思った。

 

日常的に、目の前で生死と直接関わっていらっしゃるかたの、この氣(想い)はなんとも言い難い。次々と患者さんひとりひとりに向き合って、その都度対応するための気持ちの切り替え、律しかた、制しかた、体力、気力、判断力、思考力、限られた時間や空間、周りとの連携。ひとりの人間の中に、これらがいっぱい詰まってるんだ。

 

気塾にも医療や介護に関わるかたが何人もおられる。ときどき、そのかたたちとトンレンの練習を一緒にすることがあるけど、日常の実際の具体的なことは、自分は知らない。

どんなふうに感じ、どんなふうに考え、どんなふうに選択したり志すのだろう。今日の先生を見て、そう思った。