ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

こころの手

毎日、瞑想の練習をするときは、自分の身体の内側に生じる動きや変化に意識を向けることが多い。

呼吸法で自家発電した氣を、体いっぱいに作って、退陰符でお腹の所まで一旦降ろす。降ろしながら体も弛めていく。その作業を進めていくと、徐々に意識レベルも静かで安定しだす。

安定したところで、そのときにやりたい練習テーマや考えたいことを始める。そのときの練習場が自分の身体の内側にある。

 

そんなわけで、先日のチベットフェスティバルで教わった、瞑想セッションのひとつ「一点集中の瞑想」で、「自分の目の前にひとつの対象を置く」ということが難しい。

自分の内側ならば、はっきりしてるのに、自分の外側で目の前に置く。となると、ぼんやりとした輪郭くらいにしかない。そら直ぐに上手には出来ないよなぁ。と思って、毎日試してるんだけど、ぼんやりふわふわなままだ。眼鏡を外して裸眼で見てるかのようにピンぼけ。

もっと頑張れぇー、と集中しようとするほど、6番チャクラがウゾウゾ活性化しだして、そっちに気持ちが向いてしまうから邪魔くさい。

うーむ。どうやれば目の前に対象が置けるのかなぁ。

なんか取っ掛かりになるような、先ずは補助輪付きでもいいからどうにかならないかなぁ。と思いつつ、今朝もやってみた。対象はなんでもよかったんだけど、果物のネクタリン。(←好物だから)

 

おでこのウゾウゾ這いずるむず痒さと、チャクラの動きだす音が始まる。いやー、そうじゃなくてぇぇ!もっとネクタリンの細部まで鮮明なやつ、目の前に置きたいんだよ!

 

ふと、鮮明にしたいなら手で持ってみたら?と思った。胸のところから両手を伸ばして、目の前にぼんやりあるネクタリンを両手のひらに置いてみた。

今までぼんやりしていたネクタリンが、ズシリと重みがでて、わずかに冷んやりとして、皮の表面はツルっと瑞々しく濃い赤、赤、黄色、黄緑のグラデーションもはっきりしてくる。手のひらでコロンと転がって、桃特有のいい匂いがする。目の前に、手のひらに置いてあるネクタリンがひとつあった。

この程度までが限界で、手のひらをどかそうとすると、またぼんやりしたネクタリンに戻っちゃう。今日は練習、ここまで!って思って終わらせることもできたんだけど、妄想とはいえ、手のひらに旨そうなネクタリンが一個あるんだよな。

これ、どうしよう…誰かに食べてもらいたい。とちょっとへんかもしれないけど、亡くなった家族のおじいちゃんやおばあちゃん、大好きだった親戚の伯父さんと伯母さんたちにお供えとゆーか、これ、ネクタリンって言うんだよ。美味しいから、どーぞ食べて下さい。って1人ずつ想いを馳せながら配った。

やっぱり、こんなのへんかなぁ?