ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

たっぷり観てきた

有給休暇を取って上野の東京国立博物館で開催されている「運慶展」に行ってきた。この特別展は11月26日まで開催してます。向かう電車の中で呼吸法の練習と意識レベルをさげて瞑想した。

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かなり混雑するだろうな、と思っていたので平日の昼間を選んだ。やっぱり混雑のため入場規制がかかっていて最後尾で50分待ちだったけど思っていたより待ち時間が少なかった。並んで待ってる間は、敷地内にある樹をトンレンしたり、呼吸法の練習をしたり、遠くに見えるスカイツリーを眺めて過ごした。天気も良かったからとっても気持ちがいい。待ってる人たちに無料で貸し出しをしてる日傘がクラシカルでなんだかいいな、と思った。入場整理の係りのひとが、声を枯らして説明してる。頑張ってる。体力も気力もフル稼働って感じで応援したくなる。

 

この展覧会に行こうと思ってた数週間前に、観賞用にと単眼鏡を購入しておいた。以前Mさんが美術鑑賞するときに持参なさっておられた単眼鏡を見て、これはいいな。と思ってたんだよな。

いくつかのメーカーのものを調べて、家電量販店の単眼鏡コーナーを歩き回って色々試してみた結果、選んだのがこれ↓

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NikonモノキュラーHGの5×15D。

細かい性能のことはよく分からないんだけど、美術品などの展示会場内は暗いことが多いから、なるべく明るく見えるように倍率が5のやつを選んだ。

ほかのメーカーでも倍率や明るさが同じものもあったんだけど、レンズに眼を当てたときの視野の広さとピントを合わせるときの感触が一番しっくりきたのでこれを選んだ。

今回の博物館で使ってみたところ、かなり満足のいく鑑賞ができたので買ってよかったー!と思ってる。(←予定してた資金をオーバーしたので当分は慎ましく暮らします)

 

運慶たちが作った座像や立像、台座や踏まれてる邪鬼も木だ。時代を経て虫食いや亀裂や表面が剥がれてるところがたくさんある。木じゃない部分、胸元の装飾品のビーズや金具も渋い風合いになってる。渋くてカッコいいけど、出来た当時はどんな感じだったのかなー、と思った。

玉眼と呼ばれる水晶を使った瞳には、黒い瞳孔の周りに赤やオレンジや金色の虹彩を色付けされていた。白目の部分は綿や紙などを水晶の裏面にあてて、さらに添え木でとめてるそうだ。瞳がツヤツヤのピカピカだからなのか、みずみずしく感じて生きてるような感じがする。

 

みんな大好き四天王立像は、手の甲の血管が浮き彫りになってたり、筋肉モリモリだったり、腕を上げたときの袖口や裾の布のシワや厚みに動きを感じる。前から見ても横も後ろ姿も何処見てもかっこいい。

あなたかっこいいねー‼︎って感じいってから、あ、これ木なんだよな、って思い出して道具で削ったり彫ったりした跡や、亀裂や僅かに残る色や模様を観る。作ってるところを想像してまた像全体を見ると、そのものに対する意識が二重、三重に増えていく。

 

童子立像や十二神将立像は面白かった。脚の開き具合や捻ったポーズがカッコいいなー、でも実際にやったらキツイ体勢だろうなー、とか髪の毛がアニメの主人公並みに逆立ってるけど、横と後ろからみるとちゃんとヘアスタイルとして成り立ってるなー、とか、雑誌や画像でみたときより、そんなにぽっちゃりしてないなー、とか。髪の毛の生え際を一本一本丁寧に描いてあるところ。色んな見どころがあって、ひとつひとつ見るのに時間がかかる。

たいして詳しくもないくせに自分はもう夢中だった。夢中で面白がるような、惹きつけられるものを彫った運慶や作者たちにありがとうって感じる。

本来ならばいつもはお寺にあって、僧侶や、お寺にいらした人々を支えたり励ましたり安心させたり、色んなことのために大切に安置してあるはずなのに、その場所からはるばる運んでくださった。そのことを思うと、関わった人々に感謝の気持ちが湧いてくる。

 

13時過ぎに入場して、見終えたのが16時ごろだった。展示会グッズ販売コーナーの人だかりの中、みうらじゅんさんの描いた制多迦童子と矜羯羅童子が表紙を飾る方眼ノートを発見したので即買いする。ノートをカバーする内側にポケットが付いているところや方眼ってところが個人的にテンション上がった。

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ホクホクしながら帰る支度をしてコインロッカーのそばを通り抜けようとしたら、「東大寺金剛力士像修復」の映像が無料で見れるコーナーがあったので入ってみた。

虫食いや雨風で劣化した像の修復して再び設置するところまでを10分間にまとめた映像だった。

解体作業の際に、中から経巻らしきものが出てきて騒つくところがあって、慎重に取り出すところや、ポロポロ砕けそうな劣化した巻物をゆっくりと広げていくところを見ていたら感動して涙が出てきた。

なんとゆーか、当時の作ったりたずさわった人々と、修復するために集まった現代の人々とを結ぶような、ひとつに繋がるような、俺は、俺たちはこうだぞ。お前たちはどうだ?ってゆう、お互いの面白さ優しさ厳しさ誇らしさみたいなものがギュッと詰まったいいものを見ている感じがした。

 

運慶展の内容の濃さにボーっと満ち足りつつ、せっかくなので隣接した考古展示室で石器や銅鐸や埴輪などを観た。ここの雰囲気や匂いは落ち着いて気持ちよかったから、ボーっとしてたのが治った。

所々で、銅鏡や装飾品などの側に近づくと、右手のひらがザワザワしてくる。その場を離れるとザワザワが消える。ここは氣の体感の練習にもなるからオススメしたいなー。と思った。

 

さらに常設展も半分くらいみたところで、自分はずっと歩きっぱなしで疲れてることに気づいた。きっと明日の仕事中は筋肉痛だ。こーやっていつも全部見きれないんだ。綺麗な庭も建物も中も全部、自分の好きな興味のあることが詰まってる場所。

帰りがけに、建物のすぐそばにあるお気に入りの木とトンレンしてから電車に乗って帰った。

帰宅ラッシュの時間帯だったので、東京駅からは混雑していて、重く疲れた匂いや気配でいっぱいになった。面白い。人間臭いしそれぞれバラバラな気配は、嫌だけど半分くらいは嫌じゃないのは自分が気力が上がったからだろうな。

電車の中で座席に座って今日のことを考えた。像を観るとき、ぱっと全体として感じることと、単眼鏡を通して感じること、それぞれ違うのに同じものを観たんだな、と思った。

過去の作った人たちと、現代の修復や引き継いでいる人たちが積み重なって継がれて繋がってるんだな、と思った。

近寄ったり遠ざかったり、昔だったり現在だったり、全体と個と、縦とか横とか、奥行きだとか、流れかたとか、重なりかたとか、うまく説明できないんだけど、自分の内と外とが密度の濃い多様な感覚で包まれるように感じる日だった。

 

探してる答えまで、あともうちょっとって感じ

あるなぁー。