ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

余暇の意識

休日で家にいるだけの時はとても嬉しい。

掃除とか雑用を済ませて、やることなくなったらおにぎり食べたり作ったおやつを好きなだけ食べて、ちょっと眠くなったらそのまま五体投地なみに突っ伏してゴロゴロ寝っ転がったりできる。部屋の真ん中とか、すっごく端っこの壁とか玄関近くの床だとか寝っ転がって、そこから見える景色は、自分のいつもの部屋なのに、いつもの見え方とは全然違う。

 

文庫本を読みたければ読んで、途中で好きなだけページを戻ったり、止めたり出来るのもすごく幸せだ。

ダラダラゆっくりできることを貴重な時間だって思ってる。

 

そんなときに、結構な確率で胸の奥がチラチラ騒いでるって気づいたりする。

4番チャクラの奥のなんとなく集まってる塊の、どっかしらが、チラチラとゆーか、ムニャムニャとゆーか、サワサワすることがある。

大抵の場合そのときとても眠くなってる。

うたた寝する間際とゆーか、いつ寝ても大丈夫でーす。ってぐらいの意識レベルになってる。自分はこの時間が大好きだ。いい練習になるし、なんでこんな感じになったのか?を考えられて、しかも休日だから好きなだけできる。

 

おやつ食べるのとか、本読みとか、転がるのだとかを中断して、サワサワしてる部位に意識をフォーカスしていく。

意識をフォーカスってどんなふうにしてるのか?ってゆーと、自分の場合は対象に向けて手を伸ばして触るかんじ。

例えば、背中が痒くなったとして、自分には背中が見えないけど、腕をひねって痒い位置に指先だとかを持ってくことはできるよな。

顔洗うとき石鹸の泡を手のひらにのせて、目をつぶってるけど鼻だのまぶただの、おでこを今洗ってるなぁー。ってわかるよな。

みえないけど、その場所を触れてるなぁ。ってわかる、そーゆー感じで、4番チャクラの奥の、騒いでる位置に意識でペタペタ触ってく。なんだろーな、コレ、なにかなぁ。って興味を持ってトンレンする。そのまま暫く反応を待つ。この辺から、起きてるんだか眠りかけてるんだかよく分からない状態になってる。

 

うたた寝で見る夢にしては理屈っぽいし、理屈にしては感覚的だし、考察とリアルが混ぜこぜなんだけど、そのときに起こる「感情」だけはとてもナマっぽい。ナマだから「今」で「新鮮」で「嘘付いてない」。そのまま。

後になって、復習したいとき、内容を忘れていたとしても、その時の「感情」は憶えてるからそこから内容を思い出したり再び考察したりできてる。

 

もし自分が、暇があるのはよくないとか、何かしら予定を入れてないとかっこ悪いだとかで、どんな時もぎうぎうにやる事で埋めていたら、上記みたいな意識をフォーカスすることなんて、しようとも思わないだろうし、胸の奥がざわざわしてることすら気づかないだろうな。

用事があって、出かけてそこでなにか得るのはもちろん素晴らしいけど、自分の場合は何にもしない時間が持てることがとても嬉しい。

 

何にもしない時間があることを不安に感じていた頃と、今とでは、1日は同じなのに、気持ちが全然違う。

同じ街中を歩いてる人たちの、それぞれが見て感じてるものは、全然違う世界だってのは、こーゆーことなのかなぁ。