ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

茹で卵タイム

今朝の通勤電車中の呼吸法の練習は、内丹法②で陽の氣を身体全体に満たす→退陰符で腰回りまで降ろす。

陰の呼吸法に切り替えて②④⑥→逆退陰符でまた下半身まで降ろしてから瞑想をした。

 

車内の人たちが駅で乗り降りするのも分かってるし、走る電車の音や揺れも感じてる。

意識内に浮かぶ、雑多な思考が次々と浮かんでもいちいち構わずに、そのまま素通りさせていたら、なんの関連もないのに、幼い頃の自分を思い出した。

 

実家は祖父を中心とした家族で自営業をしていたから、幼い自分は近くに住む伯母の家で面倒を見てもらっていた。祖母の妹である伯母と、自分の2人で昼間を過ごすことが多かった。自分のもうひとつの家みたいな感じだった。

 

アレはおやつなのか、離乳食だったのか分からないんだけど、細かく潰した「固茹での卵」に醤油をちょっとだけ垂らして混ぜたものを伯母がスプーンで食べさせてくれるのが好きだった。

伯母の家の、台所のテーブルに隣同士で座って、子供用のちっちゃなお椀に入ったやつをちっちゃなスプーンで一口ずつ、くちの前まで持ってきてくれる。

自分がパカ〜って口を開けると、伯母がホイッ!とゆで卵を押し込んで、モグモグ食べてる間に次の一口ぶんをスプーンですくって整えてくれる。

自分はパサパサして硫黄のにおいのする黄身よりも白身のほうが好きだった。白身ばっかり食べたがった。実家では自分で手で掴んだりスプーンで食べていたのに、伯母の家だとまだ食べさせてくれるのも面白かったんだよな。え?いいの?って思ってた。

でも伯母としては、黄身を残させないように、潰して全部混ぜて完食させる工夫だったのかもしれない。

 

幼い自分の「食べる」行為は、お腹が空いてて味も好みだから「食べた」ってことになるんだけど、もうひとつ好きな理由があったのを、今朝気づいた。

伯母と一緒に同じ作業をしてる事が楽しかったんだなと。

 

食べ終えて流し台で食器を洗ったり、ご飯の後片付けをするとき、くっ付いて横にいると「あっちで待っててね。」とか「お部屋で遊んでなさいよ。」って離そうとする。

風呂やトイレや廊下を掃除するときも、洗濯物を干すときも、自分がそばでチョロチョロ纏わり付いてると家事がはかどらないからな。ちっちゃな自分が手伝えることなんてほぼ無い。そりゃ、そーだ。

 

でも、食べる時なら一緒に座ってくれるし、伯母のスプーン係が来たらパクっと食いつく係を自分がすればいいのだ。(餅突く係と餅返す係とか相互関係みたいな感じ)

「はい、お終いー。」空になったお椀とスプーンを見て、「もっともっと!」とアンコールする自分のほんとの理由は、一緒に座ってひとつのことを自分と伯母とでするのが楽しかったからなんだけど、大人の伯母からすれば、「んまー、この子はホント茹で卵好きねぇ。」って思ってたんだろうな。

 

相手や対象が居るからこそできて、面白いことは沢山ある。自分がトンレンを好きな理由は、伯母との「茹で卵タイム」となんら変わりない。