ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

現象に泳ぐ

・今日の遠隔レッスンで、木村先生に質問して呼吸法の練習のコツを教わり、そのあとは自分の日常で起きてる現象や取り組みについて解説をしていただいた。

 

長期化するだろうなと心づもりしてたのに、あっとゆーまに片付いて肩すかしを喰らったり、自分で全部をやらなくても頼もしいアシストが至る所で現れていたり、全体的に「こーなるといいんだけどなぁ。」とゆー方向に進んでる。

自分の場合は、大きく俯瞰した目線と、工程ごとに分割したときの細かな目線とを、感覚では掴んでいるから、(もちろん細かな工夫や模索、軌道修正は大変だけど)精神的には苦ではない。

 

・ひとつの工程の、小さな目線からは、大きなものに繋がることに気付かなかったり分からないから、場合によっては翻弄されていたり、何かしら理由があるんだろうからまあ何とかやってみるか。とかリアクションが異なる。

だから例えば相手が翻弄されているならば「大丈夫だよ。ここぞって時はアシストするから、まだ大丈夫なんだよ?やってていいんだよ。」って安心して動けるように、自分が振る舞うように努める。

 

・それぞれの段階やレベルによって、それぞれのお題や苦労がある。

自分より出来てるひとを眺めると、凄いなぁ。いいなぁ。と思ってついなんでも聞いたり頼りそうになるけれど、その人達だってそれぞれお題や苦労があるんだから、アシストができる時とそうでない時もある。だからこそ、どちらの立場にも余裕は必要。

 

自分より出来てるひと達に「こうあってほしい」とゆー期待通りだと、さすがだなぁ。と思って、でもさすがだなぁ、が当たり前のこととして慣れてしまって、あるとき期待から外れると途端にがっかりしてしまう。とゆーのは、今までの「さすがだなぁ」全てが帳消しになってしまうのだろうか。

 

それってなんか違うなぁ。と感じる。そー思っててはまずいなぁ。と感じる。(←コレっていかにも6番的感覚だよな)

うまく言葉に出来ないけれど、たぶん、そんなことに翻弄されたくないからなのと、もっと俯瞰(長期間)で捉えたときに、答え(結果)も変化するのを分かっているからかもしれない。

 

翻弄されたくはないんだけど、いつのまにか現象に参加して泳いでるのは面白い。