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ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

ボタン

メルトンコートのボタンをひとつ、無くしてしまった。先日のトライアル会でコートを脱いだ時に気付いた。

買った時には真っ黒なボタンだったけど、なんか違うんだよなぁ。と気に入らなくて、大きな手芸店に行って、沢山あるボタンの中から選んで付け替えて、今年で10年くらい使用してる。

脱ぎ着するとボタンの縫い糸が緩んでくるから、古くなった糸を切って縫い直す。

まだそれほど緩んでなかったとは思うけど、リュックを前後に持ち替える時に、ブチっていってもーたんじゃないかと。

 

10年も前に買ったボタンと同じものはまだ売ってるのかなー?気に入ってたんだけどなー。と考えながら都合が付かずに何日かそのまま着て過ごした。

仕事を終えて鍵を出しながら自宅の建物の通路を歩いて玄関前まで来た時に、なにかが落ちてるのを見つけた。

なにかなー?と、よーく見たら無くしたボタンの裏側だった。つまりトライアル会のあった日曜の、自宅から出かけた直後に、ボタンをここで落としたって訳だ。

たった一個の古いボタンだけど、見つかってとても嬉しくなった。

「祝☆見つかってよかった記念」として、直ぐには縫い直さないで2日くらい見える所に飾っておいた。(←単に縫う時間がなかったとも言える)

そしてさっき、落としたボタンも含めて、メルトンコートのボタンを全部縫い直しながら、「玄関前なら日曜の夜から見つけた日まで、朝晩計6回はここを通り過ぎてたのに、なんで気付かなかったのかなぁ?」と思った。

目の前にあるのに気付かない事って、ほんと、よくある。

毎日同じように暮らしていても、ある時急に「見てるそれ」が綺麗なのに気づいたりとか、何度も読み返してる本なのに、ある時急に「新たな理解と共感」が見つかったりするとか。

 

なんとゆーか、うまく説明出来ないんだけど、「同じような中身」には、沢山の「違うもの」が詰まってるなぁと。

1と2の間を、小数点で幾らでも表せるような、そんな感覚。

陽の光の反射具合で、幾らでも色や濃淡が変わって見えるような、そんな感覚。

でも、コレってのは「見えてるそれ」自体が変化したとゆーよりは、「見てる自分」のほうが変化しているからそー感じるんだよな?

分けたてるとか尺度とかピントとか、自分がその都度変える、意識とゆーもの、コレってなんなの?とか考えながらボタンを縫い直し終えた。

ボタンが揃ったメルトンコートはキレイに見えた。