ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

自動で訪れる

昨晩から考えごとが次々と浮かんできた。

4番チャクラの奥の、魂に巻いてる「想い出」がテーマごとに出てくる。こーゆーのときどきある。

今朝の通勤電車の中では、内観をするために充分な量の氣を呼吸法で発電するようにしてみた。仕事中も、過去の記憶や想い出の感情などが生じたから、内丹法で氣を膨らまして、陰の気で周りを冷やしながら調整した。

 

1段目のマスターヨーガ、4番チャクラ開発の時は、溢れる感情や想い出に自分が揺らされる感じだったけど、今回の場合は只々ひたすらに傍観とゆーか、小説を読んでるんだか映画のシーンをみてるかのような静かな感覚だ。

仲のいい間柄だけど距離を置いた「ひとごとのような感覚」とも言えるかな。

 

自分の人生あるあるネタのような「なんで毎回こんな感じになるのかなぁ?」ってパターンの記憶もあった。内容的には悲観寄りなんだけど、そのうち面白くなってきた。この面白いって反応があるのも、以前と違っていいことだ。

なるほどねー。と帰りの電車に乗って帰宅して

 今さっきまで考えごとをしていて、子供の頃のある場面が浮かんだ。

「自分の中で好きなもの、価値を持つもの」が「奪われた」「悲しい」けど「そんなものぐらい」「弟にあげなさい」と「大人」から言われたことが「嫌だった」って記憶だ。

 

自分が好きなもの価値のあるものは、そんなもの(価値の低いもの)なんだな。と思ってしまった。

好きなものを奪われても、あげないとだめ、諦めなくてはいけない。と思ってしまった。

悲しくても大人からの賛同、承認はない。むしろ迷惑がられる。

嫌な事したほうが擁護されて、嫌な事された自分のほうが叱られるのか。何でなのかなぁ。

分からないなぁ。

幼い自分にとって大人は何が良くて何がだめなのか?を決める存在だから、何でなのか分からなくてもそれが基準になっちゃう。

 

そーか、こーゆー経験で考えかたの癖がついてたのか、なるほどねー。と4番チャクラから5番チャクラに圧迫感を感じながら思った。

このパターンは、人や場面を変えて、何度も目の前で起きるから、もっと掘り進めていく必要があるな。しかも自動で訪れたとゆーことは、今、必要なことなんだろうな。

発動キー(鍵となったきっかけ)は何だったのか?も気になるっス。