ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

変化を受け入れるかどうか

実家に住む弟と一緒に、父親の「終末のとき、どうしたいか?」について、医師や施設の担当者さんがたとの話し合いに行ってきた。

行きの電車の中で、内丹法、陽の氣を発電して陰の氣で調整しておいた。

 

待ち合わせた駅に着いて、弟と合流した時に「酷く疲れている状態」を感じた。

精神的なストレスが体調に反映しているのだ。

自分が今まで出会った人たちの「ストレス、体調ヤバいから早めに改善しなさいよ系」特有の匂いと気配がする。5段階レベルの、彼の場合は4だ。

 

弟が運転する車に乗りながら、近況などを聴く。そーゆー年齢に我々がなっているんだろうけれど、弟を観察していると「代替わりすることの変化、受け入れ、戸惑い」など気力を消費することばかりで、大変だなぁ。と思う。

でも、彼の子供の話になると、やはり明るく弾んだ声になる。彼の子供がどれだけ彼ら夫婦と祖父である我々の父親に、安らぎと活力を与えているかと思うと、「子供って凄いなぁ。」と思う。

 

施設について、担当者のかたと、医師と看護師のかたがたとの面談が始まり、父の病状と今後の方針、緊急時の対応について説明と確認をしあった。

40分程で終了して、父のいる部屋に挨拶に行って軽く雑談していると昼食の時間になったので帰ることにした。

去年、通院の付き添いに行っていた頃に、書き留める習慣のなかった父に手帳を買って渡した。

なるべく大きな文字で、なるべくページがめくり易くて、なるべく手に取りやすい洒落たデザインのものと、握り易くてインクの滑らかな太字のペンを何軒も探して選んで買ったのだ。

 

本人が使いたくないならそれでもいいけど、何でもいいから書く癖を付ければ、面白いんじゃないかな?と思ってたんだけど、今日、雑談をしている時におもむろに棚から手帳を取り出して見せてくれた。

毎日、体重を計ったのを書き留めているらしい。そうやって、腹水が溜まって増えてるのか、改善してるのか?筋力が落ちたから体重に変化があったのか?本人なりに考えて参考にしているらしい。

そんなこと、実家にいるときはやらなかったから、いい変化だな。と思った。

 

帰りの車内で、弟は心情を述べてくれた。

向き合わなければならない物事に、まだ踏み込む覚悟が出来ないでいる。

ある程度、穏便に済ませられている現状を手放したくないのだ。

そんなことを、いつ迄していても、結局は取り組まんとならないことなのに、なんでこー、皆んな、怖がるばかりで留まろうとするのかな。

でも、人とゆーのは、こんな感じなんだろうな。

 

自分は、ある時点で、怖がるばかりで留まっていたことに飽きてしまった。

どうせなら、自分で決めて動いて何かを見ていくほうを選んだ。

選んで、動いていくために何があるのかな?って探していたら、いつの間にか自分が心地いいもの、面白いと思うもの、がどんどん見つかって増えてきた。

 

誰に言われたわけでも、急かされたわけでもなく、初めて自分自身で「変わろう」と思ったんだ。

多分、その状態までに至らないと、人とは転じないのかもな。

 

施設の担当者さんや、医師や看護師さんがたの、気力の質と振る舞いに共感する部分を感じれて、とても印象的だった。

この方向で進めてきてよかった。と思ってる。