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ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

練習には本番も含まれる

出かける予定のない休日の夕方頃からは、たいていの場合、呼吸法の練習をする。

日中に雑用やら掃除やら、またはなーんにもしないでゆっくり昼寝したり、ベランダから外の景色みて考え事を浮かぶままになって転がってたりする。

例えば風呂掃除しながら、手は動かしてて頭の中では「汚れは浮かせて拭き取る。待つことも事をなすには必要。」とかから始まって思考循環しちゃう。

おやつを作ってる時は、「粉と液体それぞれ違う性質が混ざるとドロドロした新たな性質ができる。乾けば硬くなる。配合具合によって、色んなお菓子が出来て、呼び名も変わるなぁ。面白いな。」とかから始まって思考循環しちゃう。

ネットの記事や画像を見て笑ったり、感動したり気持ち悪くなったりしながら「世の中には自分が思ってる以上の、そのまたもっとずっと沢山の、色んな人のクリエイトがあるなぁ。」「昔にも今もこれから先にも多様なクリエイトがあるんだろうなぁ。自分が知るか、知らないかってだけで。」と思ったりする。

 

夕方になって、明るかった外の景色が薄暗くなってくる時間帯は、それぞれの境界が曖昧に映るし、時計の秒針をみなくても、ゆっくり変化してる様子は感じ取れる。なんでか落ち着く。そーゆー雰囲気が好みなんだろう。

 

今日の練習は内丹法②④⑦を速く、ゆっくり、変化をつけながら上げてく→退陰符で降ろして芯に納める→陰の呼吸法②③④→逆退陰符→微細身瞑想状態で拡げて陽の氣で膨らましてはみ出させてそのまま内観する。

体感が、それぞれの工程で変化するので、「もう少し続けよう」とか「だいぶ冷えたな、膨らんだな」とか調節を自分でやる。

内観を終えて、「ハイ、今日はコレでお終い〜!」と決めると勝手に身体の内圧もプシュー!って下がって深呼吸で整えて終わる。

 

練習は「練習」なんだけど、その中で「操る」とか「調節する」とか「体感を察する」だとかは常に本番だから、一回ごとの動作は無駄にしないで意識してやってる。

ネテロ会長の「感謝の正拳突き」にはまったく及ばないかもしれないけれど、「ありがとう」ってゆー単なる言葉にとどまらない、ある質感のものは、呼吸法の練習をする時にはあるな。うまく説明できないな。

 

明日のトライアル会は、楽しみだな。

どうぞよろしくお願いします。