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ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

氣は成長を支える

朝、自分が住む地域の駅前のバスターミナルには、親御さんと一緒にバスを待ってる生徒さんが集まって来る。

お母さんや、お父さんや、首からI.D.カードを下げたかたがたが、生徒さん達と一緒に愉しそうに談話してたり、じっと静かに風景を眺めている。

なかなかバス停にまで行きたがらなくて、道の途中で根気よく見守ってるお母さんや、お友達を見つけて走っていく子供さんもいる。

 

毎日、通り過ぎるときに、服装の柄や色使いが、素敵だなぁ!と思ってるお母さんがいらっしゃるんだけど、息子さんと一緒にいつもバス停の椅子から少し離れたベンチに座っていた。どちらかと言うと、周りの親御さんがたとは違って、静かに風景を眺めて、時々息子さんとお話しする。

 

何ヶ月かその様子を拝見して通り過ぎてたんだけど、少し前から、息子さんの隣にはお母さんはいらっしゃらなくなった。「アレ?」と思ってると、駅前のビルの壁際で息子さんを見守っておられるのだ。

息子さんの位置からも、お母さんの位置からも、見たいときはいつでも「此処にいるよ〜!」って安心できる距離だった。彼女の目線は、いつも息子さんに向かっていて、暖かく、静かで真剣だった。

 

今朝は、いつもの駅前のビルの壁際に立っておられるお母さんがいらっしゃらなかった。少なくとも、自分や息子さんの座ってる位置からはもう見えない。

でも、学校のバスを待って座ってる息子さんは、いつものように静かに風景を眺めている。

 

自分はこのとき、「ああ、彼のお母さんは側にいても、遠くにいても、居るなぁ。」と思った。

「此処にいるよ〜。」は、距離は関係なく「想い」として彼に届いて浸透して、彼の成長を支えてると思った。

自分の場合は、「想い」のことを「氣」と呼んだりしてるんだけど、氣は距離は関係ないって意味や、氣質の浸透力について更に腑に落ちた。