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ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

小っ恥ずかしい&とっ散らかってる

今日の遠隔レッスンは呼吸法はせずに、最近の自分の体感や考えていた事を述べた。

 

微細身瞑想の状態に近いものが増えてきた事、その状態で考えていた内容量からして数分〜数十分くらいは経ってると思ったら、実際は数秒だったり数分だったりすること。

職場のある4階まで階段を登りながら考えていたら、まだ2階だと思ったら4階だったとか。(全然疲れてなくて息も上がらない!)

電車の中で考えてて二駅位しか通過してないのに45分のドラマを観た感じだったりする。(なんかお得な感じで嬉しい。)

 

随分と昔の出来事が、ふっと思い出されて、その当時の人達のふるまいを再考察する。抽象度を上げていくと、個人とゆーよりは「あるひとつのパターン」として考えていける。

 

短時間のうちに、ぐわ〜っと多量の情報や考えが沸くんだけど、その殆どが「感覚」だけなので、言葉に変換する作業をしてると、どんどん流されて去ってしまう。

自分の場合は、再度思い出すときに「キーとなる塊」さえ忘れなければその感覚は覚えてられるが、「言葉」だけではどうしても止め置けないのだ。

それでも「言葉に変換する作業」は大切だから、どーやればいいか?を木村先生に質問した。

 

「慣れですね〜!としか言いようがないんだけどw」

な、慣れかぁ(>_<)

いや、その「慣れ」る手前の工程とゆーか、コツは何でしょうか?と突っ込んで質問した。

ボキャブラリーを増やす為に、論文とか専門書だとかを読むとか、ココさえ表現出来ればOKって絞るとか伝える対象者によって表現は選ぶとか、背景の情報とかも参考にするとか。

 

木村先生は、かつて音楽の執筆やライナーを書く仕事をなさっておられたから、その話をして下さった。

その流れで「当初は、かなり小っ恥ずかしい言葉をいくつも書いちゃってた!」「今度の東京氣塾に、その頃書いてた記事(小っ恥ずかしいやつ)と、対象の音源を持って行きますよ!」ってことになった。

(東京氣塾の皆さん、先生の小っ恥ずかしいやつが読めるぞ!)

 

体感を言葉(理屈)に整えていけるスキルは、何処までも自分に付いて回る。

ひとりで分かってるだけでは意味がないし、勿体無いですよってところから話は進んで、「自分の為にしてること」なのに、「公共性を持っている」こととゆーのは、言葉にすると、コレまた矛盾してるんだけど、感覚のうえでは矛盾でも何でもないんだ。このことも、凄くもどかしい。

トンレンでササっと送れればいいのに。

 

ほんと今日の文章も、とっ散らかってるなぁ。