ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

不自由に絡まる

・今まで出来ていたことが、出来なくなるとゆーのは、最初のうちは「アレ?」ってぐらいにしか思わない。

そのうち、出来なくなってる期間が長くなるほどに「アレ?」って思いは「困惑と不安」に変わっていく。

修正をかけたり、出来るように今まで以上に何とかして行こうと動いていても、場合によっては「どうにもならない不自由さ」に絡まれる事がある。

そーゆーのが「停滞」になる。
おそらくは「老い」とか「病気」だとかも似たような過程を踏むんだろうな。

・自分の場合、ここまで来ると考えかたや取り組みかたを見かえす。
「停滞」っていうのは、見かえす為にある。
沢山の案件を全てこなせる様になるのがいいんだと思ってたんだけど、どうやら「あー、ゆうがたヨクサル、それ違うんだよね。」って言われてるのは分かる。
誰に言われてるのかってゆーと、そらもー自分以外の全てからってことになる。

違うのかぁ。じゃあ何なのかなぁ。と考える。
自分のよく使う思考パターンじゃないヤツをあげてく。対極(正反対)とか、好みじゃないヤツ(面白そうに見えない)とか。

えーと「全部やる」じゃあないってことだよな?ってのはつまり、「やれること」と「やれないこと」があるって感じだよね。
「やれること」は優先順位上位であって、「やれない」は上位以外だよな。

自分はこの「上位以外のこと」に怖がってるんだな。ごめんなさい。って気持ちをグツグツ煮詰めっぱなしだ。

つまり「やれない」に対してどれだけ逃げずに向き合えるか。とか腹に落とし込めるか。ってことかね?
あ、そっちなの?
そーゆー部分を学ぶ期間なのかね。

ここら辺まで考えて進んでくると、次の踏み出しかたが分かってくる。
そーなると気持ちも動きもとても軽くなって、「どうにもならない不自由さ」の絡まりがゆるくなってくる。
きっと「治ってくる」ってこんな感じだ。

・重圧とか、透明な義務とか期待みたいなモノが自分を勝手にどんどん推して行く事がある。
そらもー、逃げても搔き消しても雲みたいにいつの間にか分厚いモノが自分を勝手に推して行く。

自分がそれを1度でも愉しんだ事はないんだけど、周りの人たちはそーゆーのを喜んだり安心するみたいだから、やっぱり自分はマイノリティだなぁ。と思う。
そーゆーことを「面白えな。」って感じるにはまだ時間がかかるっぽい。