ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

ゆっくり待てないから置いていく

昨日の夜は、眠る前に色々と考えごとをしていた。その後は横になったまま、3種類の瞑想を練習して、それぞれ異なる体感があった。
いい感じにリラックスできるやつをみつけたので、今度トンレン部で試してみよう。と思いながら寝落ちしてしまった。

先日、父親の通院に弟の嫁さんと一緒に付き添いで行ってみた。
自分は家族とは離れて住んでるので、ありがたいことに普段は、弟の嫁さんが運転して病院まで父親を連れて行ってくれてるのだ。
採血を済ませてから1時間半、雑談を交わしつつ、待ってる間にこっそりビバを父親に打ち続けて氣の循環を促した。
弟の嫁さんは胃に炎症があるので、トンレンすると重たさを感じる。だからそれ用に散らしながらリラックスできる退陰符と、氣力を上げるのとを交互にやった。嫁さんの感想は「また今度、ひどくなったら、氣のやつお願いしていい?」とのこと。なんか気に入ったみたいです。でもひどくなる前になんとかしようぜ。

採血の結果をもとに、診察が始まって、後ろで静かに見学していたけど、なーんか、しっくりこないなぁ。って思った。
何に違和感を感じてるのかなぁ?と考えたら、「病人である父親」は、「医師の診察の説明」についていけてないのだ。

医師は弟の嫁さんにどんどん話しかけて、それから時々、自分の方にも目を向ける。でも、父親へ質問する時間はとても短くて、話すスピードもとても速く感じた。
質問された父親が、自分なりに考えて答える時間が殆どなかった。

違和感はコレだった。

老いてくると、身体の動きも言葉の受け答えの時間もゆっくりになる。個人差はあるかもしれないけれど、ゆっくりになる。
でも限られた時間では、ゆっくり待てないから、速く済ませられる者同士で進めちゃう。
でも当人は、何が何だか分からなくて、いつの間にか自分の体のことなのに、他の人が決めて行ってしまう。
そこには、「もういいや、とりあえず黙ってよう。」って諦めてる父親がいた。

うわー、こわいなコレ。

診察が終わって、支払いや処方箋の手続きをしてる間に、父親と自分の2人で座って待っていた。ポツポツと話しをした。
来週の診察までに何を頑張るんだっけ?とか、どうしてその薬を飲む必要があるんだろう?とか、それが改善してきたら、次は何の症状を治すんだっけ?とか、少しずつ質問形式で話して、本人がやる事を考えてもらった。

小さい目標と、その意味、大きい目標とその理由。
取り組むのは自分なんだよって、気付いてもらえるように話しかけた。それぐらいしか、自分にはしてやれない。

最初に病院で会った時は、無表情でひとことも喋らずに、ぼんやり座ってた父親だったけど、帰りには「わざわざ来てもらって悪かったな!」って普通に話せるようになっていた。それを見届けて弟の嫁さんに感謝しつつ、自分は駅に向かった。

自分の事なのに、自分が置いてけぼりになってしまうのは、とてもこわいな。
そこでは、誰が何をするんだろう。それは「自分は生きてる」といえるんだろうか。
後からどんどん色んな事を考えた。