ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

いざの経験

ずっと前の話だけど、母が肺がんの手術をする事になって、離れて暮らす自分は、気持ちが動揺していた時期があった。
様子が伺えないものだから、勝手に想像だけが膨らんで、漠然とした不安や恐怖が日々起きて、仕事に差し支えもした。

ああ、コレはいかんな。と考え直してからは、不安から逃げずに、向き合う事にした。「知らないから不安になる」ので、「出来るだけ、なるべく知る事」を心掛けたのだ。
気持ちがそう固まると、それについての情報に敏感に反応できるようになる。
積極的になるし、素直に耳を傾ける事もできた。

がんのステージ(進行具合)についてのことを調べたり、全身麻酔での手術を経験した事のある友人のお母さんの話を聴いたり、肺がんで片方の肺を摘出した後に日常生活を送っておられた友人のお義父さんの話を思い出したりした。

自分は当日、家族控え室で待機する事になったから、弟と父親とが来てるんだろうと思っていたら、親戚の叔父や叔母や、その子供までもが大勢で部屋で座っていた。
茨城県と八王子市から横須賀の奥地まで、はるばるいらっしゃったのだ。
手術中、ただ待っているだけの数時間を過ごさなくちゃならないのに。頭が下がる思いだった。

自分はこの時、母親がどう生きてきたのか?を実感する事ができた。こんなに大勢の人が、彼女の事を心配して控え室で待ってる。

数時間後に手術が終わって、弟と父親と自分は執刀医からの説明を聞くために別室に移動した。
自分は離れた位置から、家族と医師との会話を聞いていた。医師の机に置いてある布を被せた金属のトレーは、多分切ったアレなんだろうなぁ〜。とか考えていた。
医師の説明が後半になって、弟と父親は集中力が薄れてきたように見えた。
「…それでは、切除した部分の話をしますが」と、トレーを手に取って自分達に見せて下さった。
詳しくは書かないけど、コレが腫瘍で、これがどの部位で、って説明するあいだに、弟と父親が真っ青な顔して愕然としていたのを覚えてる。

人間の内臓を見る機会は貴重だった。
摘出手術ってこうゆー事か。って思った。自分達の眼をしっかり見て、分かりやすく説明をして下さる執刀医に、自分には想像もつかない集中力で手術した後に、家族に説明なさることに、尊敬を感じた。

説明の後は、集中治療室にいる母親の面会に行った。
友人から、全身麻酔がまだ切れていない状態のお母さんの話を聴いていたから、ここでも動揺せずにいる事ができた。

呼吸をする為の装置が口に固定してあって、他にも身体中に計器とつながるコードが沢山取り付けてあった。音も凄い。
人間が、生命を維持する為の代替えの機器や道具が、あらゆる場所に置いてある。こんなにも沢山の機械や道具がなければ、維持出来ないんだな。とか、逆に自分が普段、呼吸して、動いて、考えてとゆー行為が、とても凄い事に感じた。

親戚と家族が見てられないと先に帰ってからも、まだ自分は母親の横に立っていた。事前に情報を集めて、気持ちを落ち着かせといて良かったー!ってつくづく思った。コレが「いざとゆー時」のいざかぁ。

担当の看護師さんが周りで処置をする邪魔にならない様に気を付けた。常に患者の様子を見ながら手早く処置を施していて、自分に対しても、眼が合うと控えめに微笑んでくれる。
喉が渇いたと訴える母親の為に「お水は差し上げられませんが、口元を湿らせるので我慢してくださいね。」とガーゼで濡らして下さったのを見ていて、看護の気配りってこーゆー事か。って思った。

「あと10分くらい居てもいいですか?」って質問してから、しばらく母親と2人だけになった。
眼を開けたくても開かない様で、まだ半分夢の中らしい。声も出そうとして出ないようだ。そーゆー身体の違和感に抵抗しようとしてるみたいだった。

静かに見てただけなんだけど、途中から自分の右手が勝手に母親の額に伸びた。
本当に、勝手に。
額に手を置いて、「…麻酔が切れないうちは、眼は開かないよ。無理に開けようとしないで。よく頑張ったね。」
って自然に言葉が出た。

この時の事は、よく覚えてる。
コレは自分が発した言葉では無いのだ。
自分はこんな話し方で親と会話はしない。
自分と、それ以外とが、一緒に身体にいる感じ。
でも、当時は不思議な感覚なだけで、それが何だったのか?はわからなかった。


現在は、あの時の体感がどんな感じだったのか?を瞑想状態で再生している。何度試しても、同じ場所の体感があって、やっぱり自分とは別の氣(想い)が重なってたんだと気付く。
トンレンで、相手の状態が自分にトレースされて、体感が重なる感覚と同じだ。

絶対そうだとは言えないし、確認のしようも無いのだけれど、今まで学んできた他のデータや上との対話、氣の体感と照らし合わせて考えてる。

アレは祖母が自分の身体を通して、語りかけたんだと思う。
40代で若くして亡くなった祖母は、ゆうがたヨクサルの気持ち(波調)に同調することで降りてきたんだと思う。