ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

慣れは手強い

自分から何かをやってみたい。と言って「してはいけない。」と答えが返ってくる。

自分からやりたいと思わない事を「やりなさい。」と言われる。それをした後に「もういい、ダメだな。」と言われる。
しなければしないで、叱られる。

やってみたい事も、やりたいと思わなかった事も、した事も、しなかった事も、どれもこれもが否定と批判で片付けられてしまう。

子供にとって、こんなにつまんない事は無いし、傷付く。とても。

自分の場合は「じゃあ、なにを選べば否定されないんだろう?」って方向に向いた。
自分を否定されるのは嫌だから。
自我を押し通す程に、困った顔をされるのが嫌だったから。

たまたま好きでも嫌いでも無い事をしていた時、それを大人から褒められて、「好きでも嫌いでも無い事」が、「否定されない事」「やっても叱られ無い事」「傷付かない事」って行為になる。
あー、こーゆーのが正解なんだな?って覚えていく。
だから無難な行為で収まって、やり過ごすのを選んでいたんだよな。
平穏と言えば聞こえはいいけど、地味に息苦しい。でも息苦しさは慣れちゃうのだ。こーゆーもんだろ?って慣れちゃう。

子供じゃなくなって、当時の否定や批判は「他者(保護者)と自分の趣味(好み)の違いなだけ」と考えてからは、距離を置いた。無理して近くにいるよりずっと楽になった。
まあ、保護者だって、子供の為に教える側として言ってたわけだから、それを悪いとは思ってない。本当に悪けりゃ他の大人が止めるだろう。
ただ、自分の場合は、後ろ向きで自信のつかない方向に作用したってだけだ。

ずいぶんと長引いて、こじらしたから、自分がやりたい事が見えなくなってしまったな。本来の想いと凄く遠くに離れてしまった感じがする。
何かを「やってみたい!」って動こうとして、動きを鈍らしてるのは、無難なところでやり過ごしてきた自分なのだ
慣れって手強いなー。