ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

経過と想い

朝、風呂入ってマスターヨーガの呼吸法②を廻す。
通勤電車の中で内丹法②をビバりながら練習→③〜⑦→退陰符→瞑想する。

古式マスターヨーガでの2番チャクラから7番チャクラ迄の開発、強化とゆーのは、自己の精神と身体を整えるとゆー事でもある。

氣とゆーものの体感から始まって、基本の呼吸法を確実に身に付ける為に日々練習を重ねる。
それに伴い、気脈も太くなり取り込める氣の量も増える。

各チャクラ開発期間に生じる日常生活での出来事に向き合って取り組む事で、「出来ない」を「出来る」に変えていく。
気力が向上する事で行動力が増すから、その分関わる出来事も増え、難易度も高くなっていく。

例えば2番と3番チャクラを廻す呼吸法を教わってるなら、その二種及び退陰符と頭頂開調息、深呼吸、右手センサー諸々を駆使してこなせる出来事が増えるのだ。
意志とか踏ん張りとか内臓機能の向上とかに2番、感情の揺れを中和する3番とか、考え過ぎてまとまらない時には頭頂開調息や退陰符とか、その人が自分自身で制御をする。

最初は身の周りの、ほんとにちょっとした些細な事から取り組む。
コレを面倒くさがらずに、「出来る」ようになるから、次のレベルに適した出来事に取り組む事が可能になるのだ。

人によっては、些細な出来事に気付かないで過ごす場合もある。それはそれでいい。本人にとって何でもない事なら、気付かないうちにクリアーしてることもあるだろうからな。

でも、場合によっては、向き合わずにスルーしている事もある。やらなきゃいけないって、わかってるんだけど腰が上がらない。コレはちょっと厄介だ。
スルーとは要は「溜める」って事だから、後で溜めた分だけ、向き合って取り組む労力を消費するって事になる。

人は、厄介な溜め事を取り組む気にはなりにくい。

掃除でも、後かたずけでも、押入れの中のよく分からないものの処分でも、過去から続くわだかまりでも、自分で始めない限りは、どんなにスルーしたって、頭の片隅にチラついてすっきりしないものだ。

どんなに呼吸法で各チャクラの廻し方を教わったとしても、実際の生活での出来事に向き合って取り組むとゆー実践をしなければ、そこ止まりなのだ。

初期の段階で、面倒くさがって、一足飛びに高度な技術を知った所で、出来る事は限られてくるし、やがては息切れする。基本をしっかり身につけて、基本の次に積み重ねる段階をさらに身につけて、そうやって出来た下支えがあるから、高度な技術は得られるし、理解出来るんだろうと自分は気付いてる。

技術は高度になればなるほど、凄いなぁー!って憧れる。基本の奥深さに感動する。
それを出来てる人を見ると、凄いなぁー!と憧れる。その人の今を見るのだから、そりゃあカッコイイわな。

でも、凄いなぁー!って部分は、本当の凄い部分とは、「それを出来るようになってきた経過と想い」なんだよな。


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