ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

勇ましい氣

朝、風呂入ってマスターヨーガの呼吸法②を廻す。
通勤電車の中で内丹法②〜⑦→退陰符→瞑想。

「勇気」って何だ?と考えてた。

勇ましい、怖れない、躊躇しない、迷わない、振り返らない。内容とか、意味として考えるともっと他にもあるだろうな。

ゲームの中では勇者とゆーのがいる。
映画やドラマや本の中にも、歴史の中にも沢山いるのは知ってる。
沢山知ってるし、言葉の意味もある程度理解はできてるんだけど、自分の身の周りに、実際に勇気を出してる状態を眼の前で見た事があるか?

「はーい!今から勇気出しまーす‼︎」って声を挙げてから見せてくれる事なんて、実際にはないだろう。

日常生活での勇気とゆーのは、こちらが注意深く意識してなければ気付かないんじゃないかなぁ。見過ごしちゃって、誰も、本人でさえも気付かない時もあるんじゃないかなぁ。

自分の母親は、ガンで亡くなった。

初めは風邪をこじらせて咳が止まらないんだと思ってたらしい。
何ヶ月もキツめの咳が止まらないから、渋々病院で検査したら肺に影があった。

肺の四分の一を切除して、酸素を取り込める面積が減ったから、退院後も少し歩くだけで息切れしていた。
髪の毛も無くなってしまったので、ヴィッグを着けていた。

その後、何回も入院した。抗がん剤を使っていたから、ダルさと吐き気と身体のあらゆる不調と精神的なダメージとに、彼女は向き合ってた。

着替えや洗い物を取りに病室に行くと、グッタリと横になってて、こんなに苦しくて辛いのは嫌だ!とゆー思いから、言動が弱気になっていた。
面会に来て下さる方々に、さよなら。今までありがとう。と挨拶してるのを、自分は黙って見てるしかなかった。

薬の投与がない期間は、とても楽そうだった。食べたいものがあると「買ってきて!」と楽しそうに言ってきた。
次の薬の投与が始まる少し前に、面会に行った時に「あともう一回だけ、頑張ってみるから。頑張るから!」と自分の眼を見て静かに言ってきた。

自分はこの時、勇気って事がどんな感じなのか?を見たのだ。でも、はっきりとは意識してなかった。

その時の自分は、あんなに苦しがっていた薬の投与の期間を体験してるのに、あんなに辛くて楽になりたいと言っていたのに、なんでそんなに頑張れるんだ?
自分だったら、これ程までに頑張れるだろうか?と考えてた。

母親が、亡くなってから少し経って、気付いたんだよな。自分に「それ」を見せるためだったんだ。体現を見せてくれたんだ。
ここで、ようやく自分は「勇気」を意識として捉えることができた。
自分が分かったとゆーことは、それを使わなければならない。

それから何年も、勇気の使い方を自分なりにやってみた。使う事が、彼女に対しての自分なりの供養であり、恩返しだと考えてる。
毎年、命日の今日はいつも「勇気」の事を考える。