ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

風そのものは見えない


「風が吹いてるなぁ。」と考える時に、風そのものは実際に見えない。

空気の流れ、動き、そのものは見えない。実験か何かで、かっこいい装置を使ってモニターに映す事はあるかもしれないけど、日常の中で風そのものは見えない。でも、「風が吹いてるなぁ。」ってわかるよな。

じゃあ、何で分かってるのか?と考える。

顔に風が当たって冷たいから。
街路樹や庭の草木が揺れてるのが見えるし、枯葉もカサカサ動いているから。
空の方で、ビュービュー音が聴こえるから。
遠くの中学校から、校庭で野球をしてる掛け声がここまで聴こえるから。
通勤の人達が服の裾や髪をなびかせてるのを見てるから。
煙突の煙が横に伸びて見えるから。

こーゆーのを沢山観察してれば「風が吹いてるなぁ。」ってわかる。
当たり前の日常的な物事だよな。

風そのものは見えないけど、周りを観察するとか、感覚を使ってそれを分かってる。

人でも、物事でも、会社でも、地域でも、「それ」の周りを知る事で、「それ」が分かってくる。

ずいぶんと長く一緒に居る人でも、自分の前にいる時と、他の人達と接したりする時とでは、見え方も違うのだろう。

この人はこーゆー人でしょ?って分かってると思ってても、実際のところそれはひとつの面でしかない。

実家は自営業をしているので、自分の母親は、店でお客さんと接する機会が多かった。
嫁いで来て、何十年も、朝早くから遅くまで店番をしていたのでお客さんと親しくなるのだ。自分とはあまり話しをしなかったのは、常に店番をしていたからだ。そーゆーものだと、当たり前に思っていたから、世間一般の母親のイメージと自分の母親の間には、かなり差がある。

高校が近くにあったので、部活帰りの学生もお客さんで店に来るから、母は親しくなっていた。
1年生が3年生になって、卒業して、時々店に寄って下さることもある。それを何十年も続けていたのだ。

何年も前に母親が亡くなった時、そーゆー学生のお母様が「うちの子に良くしてくれたから。」と焼香にいらしてくださった。
数ヶ月の入院生活で、看護学生の方々と親しくなっていたようで、その方達も焼香にいらして下さった。
家を建て直した時の、担当者とその奥様が2人でいらして下さった。お子さんが産まれて、「折につけ、何かと贈って下さって、目をかけてくださいました。」と話してくれた。
近所のおばさん達や、パートで働いていた方々も、ご自身が具合が悪い中、駆け付けて、お悔みを述べて下さった。

母親が亡くなって、自分の知らない母親の面を沢山の方が知らせてくれた。
自分の知ってる母親とは違う別の面を沢山教えてくれたのだ。

葬儀を終えて、遺品整理と掃除をしていた時、ものすごい量の物質を仕分けて処分した。何でこんなモン取っておいてあるんだ!って半ギレで片付けたので、感慨深いー。とか、ホロリとするー。とかは全くなかった。

文庫本サイズのノートが引き出しに入ってた。母親の靴下とか下着のしまってある引き出しから何で?と思ってパラパラめくる。

腹が立って、どうしようもなく、誰にも言えずにいた想いが書いてあった。

仕事の事、祖母との事、子供達の為に我慢した事が書いてあったのだ。
だから誰にも見つからないように、母親だけが使う、下着をしまう引き出しに隠しておいたんだな。と気付いた。
日付けをみると、自分が幼稚園児くらいの頃だった。

物凄く複雑な気持ちになって、黙って遺品整理を続けた。そのノートは、未だに自分の手元にある。他の家族には知らせてない。

今、自分は母親の色んな面を知る事が出来てる。これからも別の面を知るんだろうな。

「それ」の周りを知る事で、「それ」が分かってくる。

風が吹くといつも思い出すんだよな。