ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

理屈が先だと疲れる

朝、風呂入ってマスターヨーガの呼吸法②④を廻す。
通勤電車の中で内丹法②の時にビバの強弱を練習して③④⑤⑥⑦→退陰符→瞑想する。

去年の1年間は、人やら物事に出会う事で、そこから様々なヒントや気付きがあって、「こーゆう事だったのか!」と体感を理屈にまで整える事が出来た。

日々の暮らしの中で、アレ?と引っかかる情報(体感)の共通点が見えてきてから、ある程度の量が溜まると理屈に整える事が出来た。
部分とか、個とかの小さな物が集まってから判ってくるパターンだ。

今迄、そのパターンで気付きを得ていたけど、最近は逆が起きてきたっぽい。
自分から意図的に行なってたんじゃないから、全然分からなかった。どーしてそうなったんだか分からん。

集まってる全体から、部分とか個に分けてるうちにアレ?と引っかかり、「ああ、コレの事だったのか!」と理屈から体感に繋がる。

それが判ったその日のうちに、必ず誰かにその内容について話す事になったりしてるのも面白い。自分から話を振ってる訳じゃなくて、相手からその内容を問うてくる状態になってるから面白い。

体感から、つまりはこーゆー事なんだなと理屈に整える。チャクラで表すと⑥→⑦。

理屈から、この感覚がこーゆー言葉の意味だったのかと体感に繋がる。チャクラで表すと⑦→⑥。

どっちのパターンも、しみじみジワーンと静かに感動するから、気付きとしては正解だと判る。
体感から理屈の方が進みが楽だ。理屈から体感だと、余分なものが含まれてて進みにくい。疲れる。

今日の記事は言葉に表すのが難しい。
いつにも増して分かんない内容になってるな。友よ、すまん。