ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

餅っぽい

昨日の遠隔レッスンから3番チャクラの呼吸法が始まった。4段目のときと比べると自分で練習するときの体の使い方も慣れてるからやりやすかった。

練り練りとレッスンしてると、後半は身体がポカポカあったかいを通り越して軽く汗ばむぐらいだった。背中側の督脈と、2番、3番の熱感が強い。

退陰符でお腹に氣を納めるときも、餅、落っことします!って感じで重たかった。

 

3番の時期はなにかと普段よりエキセントリックなお題が待ち受けるので面倒いのと楽しいのとで夢中に過ごしてるといつのまにか終了する。

 

生々しさを制する

今朝は父の病院の付き添いで実家方面に行ってきた。市民病院だから診察を待ってる人達で混雑してる。かなり沢山の椅子と、折りたたみ椅子も出来るだけ用意して下さってるけど、何処も満席。父の座ってる真後ろのスペースは立ってる分には邪魔にならないので、自分はそこに立っている。

 

毎度のことながら、待ってる間に父の背中越しに呼吸法がてら氣を打ち込む。(見た目はただ立ってるだけ)

自分は影響を受けないように病院に行くまでの電車の中で、既に準備は万端整えてある。自分の氣を呼吸法で発電して、体内に満タンにする。そのあと退陰符でお腹まで氣を降ろして貯める。また発電して満タンにしてまた降ろす。

こうやって、自分の氣を練って活性化させて、新鮮な元気でコシのあるもの(細やかで浸透力、持続力が高いものにするって意味)にしておく。いつもより余分に持ってるから掌もビリビリしてる。

 

背中から父の仙骨らへんに向けて左手でビバ(煉氣波)を打って右手で吸いながら古い氣を引っ張る。打っては引っ張りを繰り返す。(直接背中に触れてる訳ではない)

次第に父の首や頭部に内圧が掛かってきたのがトンレンで感じられるようになり、その頃合いを見計らって退陰符でリラックスしながらお腹に氣を引き下げる。座ってる父がウトウトしだす。

次は軽めに呼吸法しながら胃のとこらへんを引っ張っては送り込むを繰り返す。

自分の氣ではない、粗めのパリパリした氣が右手に当たって、自分の体を通って左手から抜けていく。この粗めのパリパリを丁寧に抜いていく。何度もやってると、次第にパリパリは減ってくる。あと自分の場合は、疲労や症状によってタイプの異なる「匂い」が感じられる。この匂いは独特でうまくは表現しにくいんだけど、発する部位もそれぞれ異なる。その部位にもビバを打つようにしてる。(この匂いは翌日まで体に残る)

待ち時間をせめて少しの間だけでも父が疲れにくいようにと思ってやってる。

 

今日の待ち時間はいつもよりだいぶ長い。父が現役で働いてた頃のことや好きだった歌の事なんかを質問する。もうなんどもその話は聞いたよ。って内容でも、なんども違う角度から質問をして、当時の話を聴く。これは自分も退屈じゃなくて、そうしたくて聴いてるし、話してる本人も楽しそうに活き活きするからどっちにとってもいいことなのだ。

 

2時間半過ぎたころ、やっと診察で呼ばれた。入室すると、先生の雰囲気がいつもと違う感じがする。なんとゆーか、生々しいとゆーか、表情と気配が、ザワザワしてる。それをこの場では制するようになさっている?なんだろう?

話す言葉はいつもと同じくらい、キリッとした中に配慮と前向きさがあるのに、なんだろう?

途中、先生が「今日は急変する患者さんが多くて。診察時間遅くなってすみませんでしたね。」と。ついさっき、急変して吐血で亡くなったかたの対応をされていたようだ。ああ、だからかな。と思った。

 

日常的に、目の前で生死と直接関わっていらっしゃるかたの、この氣(想い)はなんとも言い難い。次々と患者さんひとりひとりに向き合って、その都度対応するための気持ちの切り替え、律しかた、制しかた、体力、気力、判断力、思考力、限られた時間や空間、周りとの連携。ひとりの人間の中に、これらがいっぱい詰まってるんだ。

 

気塾にも医療や介護に関わるかたが何人もおられる。ときどき、そのかたたちとトンレンの練習を一緒にすることがあるけど、日常の実際の具体的なことは、自分は知らない。

どんなふうに感じ、どんなふうに考え、どんなふうに選択したり志すのだろう。今日の先生を見て、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

面白がれる程度で暮らしたい

昨日は久しぶりにケーキを2品焼いた。卵、乳製品は使わない。冷蔵庫にある半端に残ってるシロップや食材を使いきる。面白いことにそれぞれ、ちょうど一回ぶんくらいの量があった。こーゆーのときどきある。

 

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オレンジピールとクルミ入りのココアケーキ」「レーズン、クランベリー、クルミとココナッツファイン入りの酒粕ケーキ」

どちらも焼いてから日にちが経つほうが、しっとり馴染んで美味しくなる。

 

自分がベジのケーキを作るときは、だいたいこんな感じ。植物性の油(菜種、オリーブ、太白ごま油、ココナッツなどなど)や果汁、メープルシロップや豆乳、ナッツミルク、など混ぜた液体チームを、小麦や米や豆の粉、ベーキングパウダーや重曹、塩、などの粉チームに加えてゴムベラで練らないように混ぜ合わせて型に流して焼くだけ。時間に余裕があればベーキングパウダーの替わりに天然酵母を使うこともある。

型に紙を敷くとか、きちんと計量するとか、予めオーブンを温めておくとか、焼き上がる予定の5分前頃に竹串刺して焼けてるからチェックするとか、焼いたあと冷めてきたら乾燥しないように包むし、使い終わった道具を洗って拭いて片付ける。

それらの作業を面倒くさいと思わず、すること自体が遊びとゆーか楽しいと感じる。

お菓子やパンを作るときに使用する薄力粉、強力粉、米粉などは毎回同じブランドを使ってる。ほかのやつも何度か試してその中で好みのものに落ち着いた。そのうち少しずつ他の粉も探してみようと思う。

 

以下のものは凝りだすとキリがないのだが、卵白の替わりに豆の茹で汁を泡だててメレンゲのようなものを作るとか、ホイップクリームの替わりにココナッツミルク缶の上側に溜まった濃い塊を使うとか、水切り豆腐だ浸水したナッツだ玄米甘酒だ自家製酵母だと、この辺になると自分は面倒くさい。用意やタイミングが合えばまあ作るかってなるし、はじめの2、3度は面白がっても続かない。慣れればなんてことないんだろうけど。

 

自分は菜食7年目になるけど、豊かで丁寧な暮らしかたや思想がある訳ではないので、菜食のお菓子にしても、料理にしても、工夫の仕方や一般的ではない材料の印象もそのときどきで変わる。

日々変化するネットや機器を面白いと感じるか複雑過ぎて面倒くさいと感じるか、ミニマムやシンプルなものを面白いと感じるか退屈と感じるか、も、そのときどきで印象が変わる。

周りからみて自分のことをストイックだな、と感じる人がいるかもしれないし、その程度は浅はかだ、と感じる人もいるだろう。

どんな場合でも、ほどほどに無理なく自分が面白いな、楽しめるな。と感じれるペースで暮らしていけたらそれでいい。

周りの人たちのことも、参考にしたり戒めにしたり、そのときどきで自分が感じた印象と他面もあるよねー。って意識も持ちながら暮らしていけたらそれでいい。だって、それを知るためにここに来てるんだから。

 

 

 

 

網目のライフ

自分でもともと立てていた予定ということではなくて、それぞれなんの関連もない外部から、ちょっとした用事や連絡などが1日の中で集中するときがある。楽しいや哀しいやびっくりのアラカルト。お腹いっぱいなのに、まだ来るかまたきたか。って寝るまで何かしら起きる。

以前の自分なら「今日は朝から晩まで慌しいな〜!」とバタバタ動いたり振り回されることが多かった。こんだけヒマな毎日が続いてたんだから、順番に1日一件とかでくればいいのに。とかボヤいたりしてた。

 

ここ数年は、そんな「いちどきに出来事が立て込む日」がきても、それぞれを淡々と対応できるようになって、それを愉しめるようになった。帰り道を歩きながら、なんで自分はこんな感じでふるまえるようになったのかなぁ、と考えた。

 

そのようなことを繰り返し経験したことで慣れた。ってのもあるけれど、

「この件はこれから先、こんな感じで展開されるだろうな。」といくつかシナリオを予想するようになったのと

「こうなった場合には、自分はこう動こうかな。」を何通りも考えられるようになったこと、

「あの件はそろそろ来るかな」って察知する精度が上がってきたことが、大きな要因かなと思ってる。

何通りも考えてシュミレーションは済ませてるし、現実に起きてもあとはやるだけだから「ああ、こう来たか。ならばばコレ〜。」って対応できる。

 

あともひとつ、昔の自分と今の自分とで変わったことがある。これはよく耳にする事ではあるんだけどさ、

「自分ひとりで抱え込まない。完璧にやろうとこだわらないこと」

このことが、なるほど、そうかって腑に落ちて身についてきた。

 

うまくは説明できないんだけど、自分の中にある個性が増えて、それぞれがそのときどきでちょうどいい具合に引っ込んだり(休憩)、出てきたり(活躍)するのだ。

同じタイプの自分だけで、色んな件を対応してた昔の「私」は、大変だったろうな。頑張ってたな。ありがとうな。って思う。

 

それと、1日に集中した外部の人たちや物ごととの関わりが、生きた網目のように感じられるのがいい。脈打つように、ぐんぐんと枝葉が伸びてくようなのがいい。とてもいい。

 

 

 

 

 

びわ

・職場のある建物のすぐ隣は、ちょっとした緑道になってる。この時期になると朝、建物に入るまえに、敷地内から見えるところにあるビワの木をチェックする。これといって手入れされてる様子もないんだけど、小さいながらも毎年たわわに実る。

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けっこう上の方は実が色づき始めてる。これ、いい感じに美味しそうになる頃、鳥が沢山群がって食べてるんだよな。いいなぁ。びわ、食べたいなぁ。

 

・自分は古式マスターヨーガの呼吸法を練習してるんだけど、毎日、どのくらい、どのタイミングで呼吸法するんですか?って質問を受けることがある。

(そういえばトンレンはどのくらい練習するんですか?って質問は殆どないなぁ。皆んなトンレン楽しいだろう?練習とか実践の感想とかデータ下さい)

 

最近はそんなに沢山は練習してないけど、大雑把に言えば、「風呂入って体洗ってるとき」「毎日朝、電車の中に居る時間に30分くらい」と「朝と夜、外を歩いてるときはたいがい呼吸法しながら歩いてる」のと「仕事中に思い出したとき又は何か起きて自分をコントロールしたいとき」と「夜寝る用に、布団の中で5分から10分くらい」。

 

休日は出かける場合は「出かける電車の中と歩いて移動してるとき」と「出先に着いて、暇なとき」と「帰り道や駅や車内で」。

休日でどこにも出かけない場合は「夕方ごろに1時間半ぐらい呼吸法と瞑想またはチャンダリーとか過去の復習練習」をやって、寝るときにまた布団の中で退陰符と頭頂開調息をやる。

初めの1年間は、毎朝早く起きて、雨の日は室内で。晴れていればベランダのエアコン室外機の上に座って外の景色眺めながら30分くらい練習してた。

「自分の身体に一定量は、ちゃんと氣が貯めておけるようにしよう」って考えてたから、目減りしては足して、いっぱいでキツかったら退陰符とか頭頂開調息で排出して調整した。

 

ちゃんと真っ直ぐに立つ。とか、ゆったり椅子に座る。だとか、日常生活の中では殆どない。そのほうが呼吸法も正確に練習できるし、好ましいんだけど、それ以外に、例えば歩いてるとき、信号待ちで横断歩道に立ってるとき、電車の中で下車駅までボーッと立ってるとき、ご飯食べ終えてお皿洗ってるとき、ベランダに干すために洗濯機から服を取り出してるとき。取り込んで服やタオルを畳んでるとき。お風呂掃除してるとき。

特別な場面は何もない。息するついで。どうせ酸素吸ったり二酸化炭素吐いたりするついでに意識的に呼吸法で息してるだけだ。

 

自分は身につくのが遅い、とゆーか、しつこくやらないと直ぐに忘れちゃう。だからコツコツ貯めてくように、日常生活の中で練習するのは、なにかと都合がよかった。たぶん、わざわざ会場集まってとか決まった時間にルール守っておこなう。とかだったら続かなかったと思う。日常生活に寄り添いながら自分のものになってく感じが好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

こころの手

毎日、瞑想の練習をするときは、自分の身体の内側に生じる動きや変化に意識を向けることが多い。

呼吸法で自家発電した氣を、体いっぱいに作って、退陰符でお腹の所まで一旦降ろす。降ろしながら体も弛めていく。その作業を進めていくと、徐々に意識レベルも静かで安定しだす。

安定したところで、そのときにやりたい練習テーマや考えたいことを始める。そのときの練習場が自分の身体の内側にある。

 

そんなわけで、先日のチベットフェスティバルで教わった、瞑想セッションのひとつ「一点集中の瞑想」で、「自分の目の前にひとつの対象を置く」ということが難しい。

自分の内側ならば、はっきりしてるのに、自分の外側で目の前に置く。となると、ぼんやりとした輪郭くらいにしかない。そら直ぐに上手には出来ないよなぁ。と思って、毎日試してるんだけど、ぼんやりふわふわなままだ。眼鏡を外して裸眼で見てるかのようにピンぼけ。

もっと頑張れぇー、と集中しようとするほど、6番チャクラがウゾウゾ活性化しだして、そっちに気持ちが向いてしまうから邪魔くさい。

うーむ。どうやれば目の前に対象が置けるのかなぁ。

なんか取っ掛かりになるような、先ずは補助輪付きでもいいからどうにかならないかなぁ。と思いつつ、今朝もやってみた。対象はなんでもよかったんだけど、果物のネクタリン。(←好物だから)

 

おでこのウゾウゾ這いずるむず痒さと、チャクラの動きだす音が始まる。いやー、そうじゃなくてぇぇ!もっとネクタリンの細部まで鮮明なやつ、目の前に置きたいんだよ!

 

ふと、鮮明にしたいなら手で持ってみたら?と思った。胸のところから両手を伸ばして、目の前にぼんやりあるネクタリンを両手のひらに置いてみた。

今までぼんやりしていたネクタリンが、ズシリと重みがでて、わずかに冷んやりとして、皮の表面はツルっと瑞々しく濃い赤、赤、黄色、黄緑のグラデーションもはっきりしてくる。手のひらでコロンと転がって、桃特有のいい匂いがする。目の前に、手のひらに置いてあるネクタリンがひとつあった。

この程度までが限界で、手のひらをどかそうとすると、またぼんやりしたネクタリンに戻っちゃう。今日は練習、ここまで!って思って終わらせることもできたんだけど、妄想とはいえ、手のひらに旨そうなネクタリンが一個あるんだよな。

これ、どうしよう…誰かに食べてもらいたい。とちょっとへんかもしれないけど、亡くなった家族のおじいちゃんやおばあちゃん、大好きだった親戚の伯父さんと伯母さんたちにお供えとゆーか、これ、ネクタリンって言うんだよ。美味しいから、どーぞ食べて下さい。って1人ずつ想いを馳せながら配った。

やっぱり、こんなのへんかなぁ?

 

 

 

 

砂曼荼羅、トンレン、出逢い

有楽町の国際フォーラムにある相田みつを美術館で開催する「チベットフェスティバル」最終日に行ってきた。向かう電車の中で内丹法→退陰符→陰の呼吸法②④⑦→退陰符からの瞑想を練習した。

 

今日は最終日、9日間のメインイベントとも言える、完成した砂曼荼羅に開眼法要をして、その後に壊す「破断の儀式」がある。

それも含めて以前から気塾の生徒さんがたにも宣伝しておいたら、今日は三名のかたがイベントにいらして下さった。

この数日間、自分が会場内をトンレンしまくって得た「トンレン面白スポット」がいくつかあるので、三名の生徒さんたちに「まずはあそこの写真をトンレンしろ」だの「砂曼荼羅の会場内の祭壇はトンレンするべき!」って感想言っどんどん説明した。

あれもお勧めしたい、コレも1から話したいって事が沢山あるので、最終日の短時間では語りつくせない。スタッフのかたがたから「いつもお疲れ様でーす!」と、スタッフに間違われるくらい通いまくってたMさんと、ひとりで場の気配や人の想いやらをトンレンさせてもらってる自分との2人がフェスの内容を話すのと、それを聞いてる今日初めて来た3人の温度差ったら。

でも全体的には3人に気に入って貰えたようで、色々とトンレンの感想を述べてくれた。

昼は東京ミッドタウン日比谷にある「Mr.FARMER」さんでヴィーガンプレートを食べた。

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ごはん、大豆ミートのトマト煮、などなど全部美味しいが、特に人参のグリルと真ん中のラタトゥイユが気に入った。一緒に行った気塾の皆さんはどうだったかなぁ。楽しんでくださったかなぁ。

 

破断の儀式の模様は、ギャラリーが多すぎたので、別室のモニター画面と音声で拝見することにした。

完成した砂曼荼羅の前に僧侶たちが並んで法要が始まった。

読経が始まり暫くして、モニター画面を見続けてる自分の頭頂部に違和感が出てきた。頭頂部から下に向かってどんどん降りてくる体感がある。目の後ろの気脈にもチラチラ触れるから瞬きを沢山したくなる。

あー、砂曼荼羅に降りてきてるんだなぁ。って自分の体感の変化を観察する。砂曼荼羅の映像がモニター画面に映ってるのを眺めつつ。

一応、確認したくて、隣や前の席に座ってる忠臣さんやMさん、K姐さんにも「いま降りてきてますよね?」ってきいてみた。Mさんはくるっと振り向いて頷き、忠臣さんは額に圧がかかる。って仰る。うん。なるほど。

 

その後もどんどん降りてきてる質感がボンヤリしたものからはっきりしたものに変化したり、体感をもとに、今こーゆー状況です!こーゆーことやってます!ってのが次から次に展開される。全てが終了するまで、自分の身体の内圧や体感が、モニター画面の映像見ながら凄いことになっていた。なるほどぉぉっ!って感動した。

曼荼羅が崩されて、ハケで集めて参列者に配布する用に小袋にスプーンですくって入れてお盆にのてせと、準備が進む。会場は撤収作業も含め忙しく慌ただしくなってきた。

会場の入り口を出るときに、僧侶手ずから砂を渡して下さる。気塾の生徒さんたちも同様に砂もらって、美術館の外の通りで砂を右手のひらにのっけてトンレンし始める。そら、当然、トンレンしだすわな。

色々な感想を述べあって盛り上がってるとき、砂を配るラマとは別のかたが袋からなにやらヒモを一本ずつ抜き取って来場者の人たちに配り始めた。ここでヒモの詳細は述べないけれど、かなり効力とゆーか、強い元気な氣だった。

数分、腕に巻きつけて結んでたんだけど、結んだほうの半身がキリキリ、ドキドキしてくる。つ、強いし濃い。その時の自分は、イベントも終わり、余韻をしみじみ感じ入りたかったのでヒモは途中から外してリュックにしまった。

 

気塾の三名とは、挨拶もうやむやのまま解散してしまったんだけど、その後、Mさんとそのお知り合いの方々とお茶飲むことになった。

これもかなり濃い会合になったんだけど、濃すぎるからここでは述べない。

でもこれだけは言えるんだけど、会合にいた4名が皆んな、それぞれ手持ちの情報をシェアして、他の人たちからの新しい情報を得て、お互いに楽しいひととき過ごせたってこと。第2回やることになったし。

 

こんな感じで9日間のチベットフェスティバルは終了した。明日以降は、自分が教わった瞑想セッションでのメモを整理してノートに書きなおす作業がある。仕事の関係でトータル8日間通ったけれど、我ながらよくまあ有楽町まで通ったもんだ。

自分にとって、この期間は食べたら歯を磨く。とか、雨降ったら傘を差す。と同じレベルで、イベントに通うことをフツーのこととして受け入れてた。

とても素敵で、とても勉強になった日々だった。