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ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

味の輪郭

軽食としてスコーンを焼いた。

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国産薄力粉、国産強力粉、ベーキングパウダー、塩、有機ドライバジル、ココナッツファインをよく混ぜて、オリーブオイルを入れてそぼろ状にしてから、甘味担当の冷凍バナナとメープルシロップを泡立て器でペースト状にした液体と合わせる。

ちょっと緩めの生地になってしまったから、生地は腹割れしなかった。寝起きに計量したから何処かで間違ったんだろう。これはこれで味は好きだけど、自分の中でよしとする出来とは異なる。

 

ドライバジルの入ったクッキーやスコーンは、おやつとゆーよりパンの代替えとしてたまに食べる。

全然違うってのは、頭で分かってるはずだけど、毎回、食べるとなんでか動物性を感じる。

コレがパンだとなんとも思わないけど、クッキーとスコーンにドライバジルが入ってる時だけ感じるんだよな。

頭の中のデータベースの物凄〜く遠くに、「魚肉ソーセージ」的なものが浮かぶっつーか。

もう何年も魚肉ソーセージを食べていないから、実際にどんな感じだか忘れてるけど、なんとなくの味の輪郭とゆーものはまだあるな。

 

自分が持ってる色んな想い出にも、そーゆー実際にどんな感じだか忘れてる事があり、なんとなくの輪郭だけが残っていることも多いな。

随分経ってから、別の出来事を通して、共通してる何かを基にその輪郭が引き出される。

 

 

ちゃんとしたい

今週もよく働いた。

ここ1ヶ月半くらい、2、3日ごとに何かしら普段と違うやる事があって慌しい。

自分の場合、気力と体力とのバランスをとるのは、なかなか難しい。

気力だけで、何とか乗り切ろうとすれば、体のどこかに負荷がかかる。リミットオーバーを見て見ぬ振りした数年前の自分は、そうやって自分で自分をコントロール出来なくなってしまったから、今度はちゃんとしたいんだ。

 

出来ることと、出来ない事、上手くやれば出来ること、なにをどうやっても出来ないこと。

自分ひとりでやれる事は、そんなに多くないな。と、感じるから、せめて1つずつを、丁寧にしたい。

食べかたと、動きかた、つまりは「暮らしかた」を整えるには、考えかたも大事だな。

 

まずは呼吸法して寝るぞ。

問いの作用

・答えは、その人の中に既にある。

その人が、答えを見つけられない場合には、誰かが問いをたてることで、返答し、それに気付けることがある。

自分がそこで発する言葉や感情によって、初めて気付けることもある。

 

・やり方を知らない者に、何故やらないのか?を問うよりも、やり方を見せてから、何故やらないのか?を問うほうがずっといい。

 

・まず、自分の体験があって、その後に理屈がある。

理屈があって、その後に体験したものが、「それ」なのかどうか?を検証する。

検証するその場合にもやはり、検証という体験を基に理屈と同等にする。

自動で訪れる

昨晩から考えごとが次々と浮かんできた。

4番チャクラの奥の、魂に巻いてる「想い出」がテーマごとに出てくる。こーゆーのときどきある。

今朝の通勤電車の中では、内観をするために充分な量の氣を呼吸法で発電するようにしてみた。仕事中も、過去の記憶や想い出の感情などが生じたから、内丹法で氣を膨らまして、陰の気で周りを冷やしながら調整した。

 

1段目のマスターヨーガ、4番チャクラ開発の時は、溢れる感情や想い出に自分が揺らされる感じだったけど、今回の場合は只々ひたすらに傍観とゆーか、小説を読んでるんだか映画のシーンをみてるかのような静かな感覚だ。

仲のいい間柄だけど距離を置いた「ひとごとのような感覚」とも言えるかな。

 

自分の人生あるあるネタのような「なんで毎回こんな感じになるのかなぁ?」ってパターンの記憶もあった。内容的には悲観寄りなんだけど、そのうち面白くなってきた。この面白いって反応があるのも、以前と違っていいことだ。

なるほどねー。と帰りの電車に乗って帰宅して

 今さっきまで考えごとをしていて、子供の頃のある場面が浮かんだ。

「自分の中で好きなもの、価値を持つもの」が「奪われた」「悲しい」けど「そんなものぐらい」「弟にあげなさい」と「大人」から言われたことが「嫌だった」って記憶だ。

 

自分が好きなもの価値のあるものは、そんなもの(価値の低いもの)なんだな。と思ってしまった。

好きなものを奪われても、あげないとだめ、諦めなくてはいけない。と思ってしまった。

悲しくても大人からの賛同、承認はない。むしろ迷惑がられる。

嫌な事したほうが擁護されて、嫌な事された自分のほうが叱られるのか。何でなのかなぁ。

分からないなぁ。

幼い自分にとって大人は何が良くて何がだめなのか?を決める存在だから、何でなのか分からなくてもそれが基準になっちゃう。

 

そーか、こーゆー経験で考えかたの癖がついてたのか、なるほどねー。と4番チャクラから5番チャクラに圧迫感を感じながら思った。

このパターンは、人や場面を変えて、何度も目の前で起きるから、もっと掘り進めていく必要があるな。しかも自動で訪れたとゆーことは、今、必要なことなんだろうな。

発動キー(鍵となったきっかけ)は何だったのか?も気になるっス。

 

 

 

 

自分のことのように嬉しくなる

浅草の東京都立産業貿易センターで開催する「第30回心と体が喜ぶ癒しフェスティバル」に東京氣塾の皆さんと出展した。

今回も、古式マスターヨーガと武当派太極内丹法による呼吸法、氣の体感やコントロール、トンレンについて紹介させていただいた。

メニューをお申し込み下さった皆様と、トンレンする事が出来てとても嬉しかったです。ありがとうございました!

 

それから、前回のイベント出展をした時に、自分とトンレンして下さったかたがブースに寄って下さった。自分はそのかたとお話しするのが楽しかったので、またお会いする事ができて嬉しかった。いやー、ほんと嬉しかった。

後日、谷山教室で古式マスターヨーガの呼吸法を習い始めたそうなので、今日もまた呼吸法や氣の体感で分かってきたことや、そのかたの面白い話で盛り上がった。

空いてる席でトンレンすると、呼吸法自体もしっかり出来ておられる。いいなぁ。やっぱり、自分自身で氣を発電したり、上げ下げをコントロールして行けるとゆーのは面白いし、素敵だ。それを見せていただけて、なんだか自分のことのように幸せに思えた。

 

昼過ぎに休憩時間を貰って、行ってみたかったお店に向った。特にベジだとか、そーゆー訳ではないんだけど、気になってたんだよな。隅田川沿いにある「Suke6 Diner」さんの3階にある「Manufacture」でパンを買った。

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↑隅田川沿いの階段入り口にある看板。1階の食堂からも行けます。

パンを焼き上げる工場があって、通路に面したガラス越しに並べてくれる。テーブルがあるし、ビンやパックの簡単な飲み物も売っているので、その場でも食べれます。(1階にもパンを使ったメニューがあります)

スコーンが売り切れていたから質問してみたら「1階(食堂)にはまだあるかも」との事だったので、階段で降りてレジ横にあったスコーンをゲットできた。その他にもハード系のナッツとメープルシロップのパン、雑穀ブレッド、ベーグルを買った。

↓画像のベーグルは昼間にちょっと味見したのでちぎれてます。フカフカタイプで親知らず抜歯後の自分にはギリ大丈夫な噛み応え。

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イベントが終了してからは、出展した皆さんや主催者スタッフのかたがたとの懇親会に参加した。色んな話を聞く事ができて面白かった。

自分が今回望んでた情報が交互に目の前に揃ってくるような日だった。

イベント全てに関わる皆様、本日も勉強になりました。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

熱は面白い

木曜日に親知らずを抜いてから、抗生物質と痛み止めの薬は食後に飲むから、何かしら食べ物を口に入れなくてはならい。痛みは大したことないが、顔が腫れてるから口が開かない。

当日の昼からアサイージュース→酒粕豆乳バナナの粥→豆乳ココア→非常食でストックしておいた賞味期限切れのトマトリゾット→再び賞味期限切れの豆乳リゾット→ブレンダーですりおろしたりんご→を経て、今日の昼は炊飯器で一緒に炊いた人参と梅酢の雑穀おにぎりを、抜歯してない方の歯でゆっくり食べた。

食べてから数時間後に、身体がポカポカしてきた。おお〜、さすが炭水化物、分かりやすいな。

食べ物を口で噛んで唾液と混ざって消化しやすい形状になって、食道や胃や腸に進む。人参やおにぎりだったお米や雑穀や海苔や梅酢は、それぞれもっと細かな物質になって、血管に流れる事が出来るくらいの細かさになって、身体中を巡る。

一部はエネルギー、熱として体から発して、体外に出ていく。

今の自分が、ポカポカしてるのは、元おにぎりと人参なんだよな。食べ物さん、身体さん、ちょうど良く温かくしてくれてありがとうだ。

そんで、このポカポカ温かい熱は空間、部屋の中にふあーって出て冷めてく。ああ〜、冷めてくのかぁ。って思う。

 

いや、だから何だよ、ゆうがたヨクサル意味わかんねーよ。とか思われても仕方ないんだけど、この事を改めて興味深く感じたんだよな。

「粗大から微細へ」とゆー工程や、空間在りきで起きる変化とかが面白いなぁ。と思ったんだ。熱が面白いとゆーか、エネルギーの移動が面白いとゆーか。

「粗大」は自分の目にもちゃんと見えてる事だから分かるんだけど、徐々に「微細」になってくると、ある段階からは自分でもよく分からないようになってくる。でも、それらが関連した、ひとつながりのものなんだよな。ってのは感じれる。

ただ証明とか、説明だとかが出来ないだけで、感じれてはいる。

 

氣も、粗いものとか細かいものだとかあって、体感の違いがある。

もっと自分の中で、感知できる精度や表現の仕方をいいものにしていけば、より深く理解する事が出来るのかもな。そうなりたいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気持ちと呼吸

今朝は出勤前に大学病院に行って、親知らずの切開抜歯をした。

病院の担当の先生は施術の準備をしながら、自分のほうに声をかけてくださる。

雪、まだ降ってますかー?とか、その後痛みとか無かったですかー?だとか。

助手のかたも隣にいらして、いよいよかなぁと思ってたら、先生は「ふーっ!」と軽く息を吐いた。

ああ、いいねぇ。これからやります!って意志を整える感じだ。自分が呼吸法を始めるときも、「吐く」から始める。

 

呼吸は、気持ちと連動する。

ドキドキしてるとき、想いが溢れているとき、または伝えられずにいるとき、びっくりした時、緊張しているとき、眠いとき、色んなタイプの吸ったり吐いたりがある。それはどの時代の人だろうが、性別や国の違いがあろうが、皆んな同じだな。

 

もし、気持ちに翻弄されないようにしたいのなら、連動している気持ちのもう片方の、呼吸のパターンを変えればいいじゃん!って感じで昔のヨガの先達さんがたは考えた。おおー、なんかすごいな。それからどんどん洗練された動作が研究されて、色んなタイプの呼吸法が出来た。

「こーすれば、こーなる」っていう理屈と体感が何千年も前から今に伝えられた。

南インドの極限られた人々の中でしか知られていなかった「プールベシャーム・アーチャリャーヨーガ」は、関西にいらした日本人の木村先生のところに縁で繋がって、「古式マスターヨーガ」って訳されて今こうして自分は教わってる。

今日もまた、日常にある「人は呼吸で気持ちを整えることができる」ってのをみせてもらった。