ベジるビバる

ゆうがたヨクサルのブログ

傷に塗り薬

反応に過敏で、こだわって細かなところまで神経を使いすぎたから、疲れて動けなくなりました。って苦い経験がある。

痛めたところを少しずつ緩めて、穏やかに、体も気持ちもほぐしてきたけど、ときどき「ちょっと甘くない?漫然と過ごしてるだけじゃないか?」って気持ちにもなる。油断しててあとで余計に傷つきたくないからこう思っちゃうんだよな。

 

何年も自分で自分のことを放ったらかしにしていたせいで、どのくらいがちょうどいいのか?よくわからなくなってたからつい、他者との関係などで順調かそうでないか。を目安にしてしまう。

でも近年はそれを参考にはするけど、結局は自分の意思で選択してるんだってのを、毎回意識できるようになった。

呼吸法を練習するときは、こんな感じのことを思い出しながらやってる。それがいつのまにか内観とか瞑想だとか呼ばれることに繋がってる。

 

自分が自分に愚痴や文句を言う回数と同じくらい、自分が自分に提案や賞賛するようにもなってきた。なんだか塗り薬使ってるみたいで面白い。

 

 

 

 

調和、大きい数、小さい数

・今朝は太陽の光がとてもきれいだった。

出勤するために玄関のドアを鍵かけてるときに、ドアと壁に太陽の光と、チャイムの出っ張りのところが影になっててコントラストがとてもきれいだった。

駅まで歩いているときも、何にもない空間の中に、日光の粒々があるのが感じられて、みっしりとぎうぎうに詰まってるのに軽やかなのだ。

前日まで、ちょっとモヤモヤしてたんだけど、今朝はとても落ち着く。

この感覚は自分が常にこうありたいっていうお手本だった。

 

・今日の遠隔レッスンでは呼吸法の練習のあとにちょっとだけ座学があった。

昨日の晩に職場で何の気なしに話したことがきっかけになって、話し相手だったかたは何か感じ入るものがあったらしく、今朝は行動に移しておられ、何かスッキリなさって昼休憩のときにお礼を言われた。

自分からすれば、なんでもないただの会話だったんだけど、他にも数人、似たようなことが起きてたので先生に質問してみた。

 

自我が薄まってるとき、相手との交流がスムーズに進んでるとき、このようなことが起きると。

こうしてやろうとか、遠慮してたり疑っているとうまくいかない。

スッと入ってスッと生じるのがいいパターンだと。

その時の状態というのは、ウパース(念想)とか他心通とかの通力(アビンニャー)がうまく出来てるってことだから、慣れてくればどんどんできるように、分かってくるようになってくると。

う…いろんな言葉がでてきたぞ。教わってもまだよくわからない。でもよく分からないけどメモする。

そして「那由多不可思議無量大数」って言葉もでてきた。ス、スケールが大きすぎてポカーンてなる。

 

レッスンが終わって、その後に数字の桁の読みかたについて調べていたら、さっきの大きい桁の逆の小さくなっていく数の読みかたを見つけた。

あらやあまらねはんじゃくそう…

あー、とても気持ちがいい音だ。

自分が好きな無為自然ってのと同じくらい気持ちがいい。

今朝の陽の光と、空間の粒々は、数字の読みかたでいうと、どのくらいの大きさで、どのくらいの量なのかなぁ。

余白づくり

いろいろなことを観察させてもらって、感じて考えて、自分でもやってみたりするうちに、だいぶ一杯になってきた。

ここらでいったん隙間作らないとアレだよな。

さ、どうやって余白つくろうかな。と考えてる。

 

今度の東京気塾の練習のときに、どなたかご一緒に練習してくださる方がいらしたらやってみようと思う。

 

 

まあいいかってなる

呼吸法をしてると、ブログでアップしようと思って書いてたことも「まあいいか」って、どうでもよくなる。

大した問題でもなくなるから、はなすほどのことでもないなぁ。と。

ますます

いくつかの銀行や郵便局で用事があったので横浜に行ってきた。算数とか手続きだとかのタイプの用事はいつも苦手だ。窓口で呼ばれる間はヒマだったので呼吸法の練習を静かにやった。

 

郵便局で手続きをするときに担当してくださった男性からは、保険や投資信託などの提案を丁寧にして下さったんだけど、そっち方面がよく分からなくて苦手な自分は、なるべく興味を持つように頑張ったけど、やっぱり難しくて半笑いになってしまった。

 

担当のかたが一時的に席を外されて、その間、自分は必要な書類を書いてたんだけど、ちょっと疲れてきてふと奥を見たら、壁に並ぶ棚の上にぬいぐるみのようなものがズラッと並んでいるのに気がついた。

棚自体は結構な高さがあったからあまりよく見えなくて、飾ってあるというよりは仕方なく置きましたって感じで推されず所在なさげで余計に気になる。

↓確かこんな感じで3箱くらい置いてあった。

f:id:yuugataJoxaren:20180105180609j:image

わらび餅みたいなベージュ色っぽい丸みのある四角形で、手足は白い。ハッキリ見えないけど1名、なんだか髭で目が虚ろなヤツがいる…

もう、気になって気になって仕方がない。

担当のかたが席に戻ってきても、ご資産を運用しながら育ててー、とか真面目な説明が頭に入ってこない。なんなんだ…髭で目が虚ろでアイツは。可愛いじゃないか!

郵便局にはカンガルーのかんぽ君とか、リスやクマの動物系キャラクターで優等生風味の真面目な感じが多いなか、棚の上にいるあのお爺さんだけはゆるい。

 

手続きが完了してから最後に「あのー、全然話変わってしまうのですが、あそこの棚の上にいるキャラクターはなんでしょうか?」って質問してみた。

「あ…気付いてしまいましたか(笑)あれは今回ご説明させていただきました投資信託のキャラクターなんですよ。お酒を飲むときに使う升(ます)をデザインしてるんです。」

資金を運用する→益々、もっともっとの意を込めてる→マスだから升ってことらしい。駄洒落系か。しかも3世代ファミリー、投資信託ますますくん。(自分が気になってた髭のは、ます蔵じいちゃんだそうです)

ます蔵。欲しい。いやでも、あのまま誰も気づかないような棚の上でひっそり見守っているほうが味わい深いかもな。とか勝手に考えながら郵便局を出た。

 

他の手続きや用事を済ませてからは、高島屋にある和菓子屋さんの「仙太郎」さんで新春を祝うお菓子「花びら餅」を買った。

f:id:yuugataJoxaren:20180105185153j:image

麹味噌と白小豆で炊いた白味噌あん、柔らかな人参とゴボウが、ふよふよの柔らかなお餅で包んである。ゴボウの薫りがしてとても美味しくて身体の中からじんわり氣が立ち昇ってくる、丁寧なお菓子。

 

今年も、自分が気になったり面白がれたり美味しく味わえるものを見つけられるようにしたい。

 

 

 

 

 

 

拍手の音がした

横浜市営地下鉄阪東橋駅近くにあるジャック&ベティさんで上映中の映画「ドリーム」を観てきた。

f:id:yuugataJoxaren:20180104233807j:image

1960年代のアメリカでNASAの有人宇宙飛行計画に関わる黒人女性たちの話。当時の社会環境、職場でどんな差別、対応をされてたのかや、どう奮闘したのか。を描いてる。映画の終わりに、鑑賞していた周りのお客さんが何人も拍手していたのが印象的だった。拍手をする人たちがいる映画だったんだよ。

この映画を、最近社員になった同僚が観たら、元気出るかなあー、と思って今日は誘ったけど、喜んで貰えたようだったので一緒に行ってよかった。

 

個人的には「変化」に対して自身が「どう先々を読んで、どう応じて、どう変わっていけるのか」を考えさせられた。

どんな物事にも「初めてのこと」があって、初めてのことを経験するときとゆーのは困難があるから物凄く勇気やエネルギー、スタミナとゆーか踏ん張りが必要になる。

映画の中では今まで人為的に手作業で計算してたことを、IBMの大きなコンピュータが導入されることによって計算係が不要となってくる。機械でどんなに正確な答えや情報が出たとしても、人がやるからこそ安心したり信じれることもあるとか。

あと、やっぱり「言いかた」とゆーか、プレゼンテーション、相手を納得させる話し方とかスタミナが凄いなー、上手だなー。と思った。女性たちの服装や振る舞いも素敵だなー。と思った。

 

当時のアメリカ社会の生活のなかで、どんな差別があったのかは、漠然としか知らなかったけど、映画の中では具体的に出てくる。トイレに行こうにも800メートル離れた場所にある有色人種専用トイレを使わなきゃならない。

彼女は日常的に不便を強いられてるけれど、強いてる側からすればそれが当たり前すぎて(自分たちは不便じゃないから)気づかない。

 

たとえば自分の日常で、右利きの自分には、右利きの人が使いやすい配置や道具や機械がある。それ用の仕様に社会や環境が整ってるから当たり前すぎてなんとも思わないけど、左利きの人からすれば、その仕様はどう感じてるのかな。とか考える。ちょっとした道の段差も、自分にとってはなんともないことだけど、その段差で困ったり危険だったりする立場の人々もいる。

この「自分にとってはなんともないこと」とゆーのは、くせ者だ。相手起点、相手目線に立ってそれを考えるとき、当たり前すぎた世界は別の世界に見えてくる。そのことを知ったとき、自分はどうしたいんだろうか。

 

 

 

デミる

年末にベジタリアン用のデミグラスソースのルウを作った。

地粉をオイルで炒めて茶色くなったら塩や生姜やにんにく(今回は不使用)、トマト缶、醤油をどんどん混ぜて炒めながら水分を飛ばしていく。最後にアガベシロップ(今回はメープルシロップ使用)を入れる。3日以上熟成させたら出来上がり。1ヶ月くらい保存可能。

f:id:yuugataJoxaren:20180102140226j:image

作ってる間、部屋中に油煙と焦げの匂いで凄いことになって(そのあとに換気扇を掃除した)、熱した油に次々と材料を入れてはジクジク炒める感じがなんだか魔女っぽいなぁ。と思った。

一般的なデミグラスソースは、牛肉などを使ってフォン(出汁)を使うけど、このレシピは植物性のものしか使わない。それなのに出来上がったルウの香りはファミレスの前を歩いてるときにハンバーグにかかってるデミグラスソースの匂い、あれとほぼ同じ。不思議だなー。

 

今日の昼ごはんは、このルウを使った「とら豆と根菜のシチュー、酒粕粉チーズがけ」にした。同じ本のレシピでベーグルも焼いた。

f:id:yuugataJoxaren:20180102141229j:image

玉ねぎ、人参、蓮根、セロリの葉っぱを炒めて昆布を入れた水で柔らかくなるまで煮る。

茹でておいたとら豆とルウを入れてとろみがついたら完成。地粉のベーグルも焼いたので一緒に食べた。

おお〜?カレー粉の入ってないカレーみたいな風味がする。赤ワインとか入れたらもっと味が深まるんだろうな。けっこう塩分が強い感じだからパンよりも、じゃがいもとかすいとんとか、ご飯で食べたい。厚揚げといんげんとか、ゴボウと玉ねぎでストロガノフっぽく食べたい。ルウだけ用意しておけば、あとは具を柔らかく茹でてルウ溶かせばすぐ食べられる。

 

ルウとベーグルは、白崎裕子さんの「にっぽんのパンと畑のスープ」に載ってるレシピで作った。この本は地粉を使ってパンとかルウとかマフィンだとか、スプレットとかステキ調味料だとかが植物性の材料だけで作れるようになってる。ちゃんと説明文通りに作ればちゃんと出来上がるようになってる。文字や写真に写ってない「隠れた妙法」がないと上手にできないような、そーゆーレシピではない。
ちなみにこの本にはカンパーニュのレシピもあるんだけど、バヌトン型(カンパーニュを作るときに使う籠)を使用しない。代替えの型もない。それなのにどーんとカッコいいカンパーニュが焼ける工程が載ってる。このページを読んだとき「凄い!」って唸った。パン作るときはこおするものだ。ってゆう思い込みが薄まる。

 

この本を読んでると、普段の思い込みや決めつけで固まって乾き、そこ止まりの答えで不満げな自分を潤してくれる。

「そのやり方でもいいけど、今よりもっと面白くなるよ」ってことを思い出さしてくれる。ありがたい。